動物を亡くすこと、描くこと
飼っていた白い鳩が亡くなった。夏の暑い日だった。ケージの中で苦しみのた打ち回っていたのに最後はその気力も無くなったのだろう、穏やかに息をひきとった。
軽くなった亡骸をそっと両手で抱えて、カメラのシャッターを切る。描き残すためだ。描き残す。何故そうするのか。
「亡くなったものをモチーフにすることは、罪ではないのか?」
庭に鳩を埋めた後、撮影した写真を確認しながら私は自問していた。自分が描きたいからという欲求だけで絵にしていいのか。相手は鳩の死体で何も感じないことはわかっている。それでも、鳩と過ごした5年の月日を思うと涙が零れた。
それを乗り越え筆を握ったのは、亡くなったその子を絵で描き残せるのは私しかいないんだ、という思いからだった。もうこの世にいないものだからこそ、ちゃんと見てちゃんと残したい。
真っ白だった羽には、最後立てなくなったために緑色の糞がそこかしこにこびりついていた。ピンク色だった足は紫色に染まり、死後硬直で天井をピンと向いていた。そして閉じさせた目蓋の青黒さ。口ばしにできた丸い腫瘍。
そのひとつひとつを、ちゃんと見て写し取りたい。そんな気持ちを原動力に、吸い込まれるように写真の中の鳩を観察し筆を進めた。時には存命中の他の鳩をスケッチして羽毛の具合を見たりもした。思えばこれが私にとって初めての、眼前に迫るリアルを描いた機会だったかもしれない。
鳩の死は、私にとって大切なことだった。私はあと50年、絵を描けるだろうか。残りの人生の中で本当に大切なことに幾つ出会えるかわからない。私は人生で起こったこと、心震わされたことに突き動かされて筆を走らせたいと願う。大切なこと、そのひとつひとつを見逃さないように、残していけるように。万人から愛される絵でなくてもいいから、誰かひとりが心から同じ思いをわかちあってくれるような、そんな絵を描いて行きたい。そのことを鳩は教えてくれた。
私は作品を通じて「生きながら生まれ変われる」ことを証明したいのです。そのためには「命のありか」と「心のありか」を解き明かさなければなりません。2020年は自分の子宮の音を録音する予定。いつか子宮コンサートを開きたい。頂いたサポートはそれらの研究費用とさせて頂きます!