某県某所の中華料理屋:★4.5
「免許更新のハガキが来たぞ」
久しぶりの田舎の父からの電話に、5年毎の一大イベントを思い出す。
「もう5年か」
「今回はそっちで更新するだろ?」
「ああ、時世も時世だしね」
疫病が蔓延し帰省もままならない現状では、そうするよりほかなかった。もっとも、本来であれば引っ越した時点で住所変更をしなければならないのだが、次の更新が近いからとサボっていたわけで。
「それじゃあハガキはそっちに送るから、あとは住民票とかなんか準備してそっちでやれな。なるべく早めにな」
「ああ、分かってる」
その後しばらく、お互いの仕事の話だとか天気の話だとか、そういったとりとめのない話をして電話を切った。
……数日後。とんでもなく晴れた夏真っ盛りの日曜日。時刻は午後1時をまわり、気温はピークに達していた。こんな日に限ってこの暑さかと悪態をつきたくもなるが、しかし天気ばかりはどうしようもない。
はじめてやって来た免許センターは電車とバスを乗り継いで1時間ほど掛かった。道中あまりの暑さに鶴兵衛の麦茶を飲み干してしまった。昨今は見えないデフレで食べ物が小さくなっていると言うが、鶴兵衛の麦茶は年々増量している。俺の記憶が間違っていなければ、10年ほど前は550mlのペットボトルだったはずだが、いまやほぼ同じ値段で1.2倍の660mlである。このままの成長率だと30年後には1000mlを超えてしまう計算になる。……話がそれた。
ともかく、絶望的に暑い日差しをかいくぐり、どうにか免許センターにたどり着き、いざ住所変更と免許更新へと挑んだわけだが、特筆すべきこともなく全てがスムーズに終わった。書類不備なんかでトラブルになるかと思って警戒していたが、いい意味で予想が外れたというわけだ。
……無事に新しい免許を手に入れ、バスに揺られて10分程度、電車の乗換駅にやって来た。時刻はすでに14時半を過ぎている。ここで問題が発生した。
腹が減った。
考えてみれば、朝食は極軽く、あとは鶴兵衛の麦茶しか栄養を摂取していない。しかし、疲労度はそれなりにあり、何を食べたいのか自分でもわからない状態になっている。典型的な昼飯迷子だ。
幸いここはそれなりに大きな駅だ。駅前にはいくつかのチェーン店が並んでいる。……が、今日に限ってどうにもピンとこない。トンカツは重すぎる、カレーは暑いときにも強い選択肢だが今日はそんな雰囲気ではない、牛丼もなにか違う。
どうしたものかと歩き続けて脇道に入ると、1軒の店が目に入った。その瞬間、最も限りなく正解に近い店だと悟った。
「中華、これだ」
中華といっても様々だが、ここの看板は赤い文字でデカデカと“中華”と書かれている。しかも背景は黄色だ。黄色い背景に赤文字の中華、しかも本通りをやや外れた立地とくれば、もはや約束された勝利の麺がある可能性は極めて高い。もっとも、正解の可能性が極めて高いとはいえ、ハズレの可能性もないわけではない。だが、直感で選んだ店だ。たとえ外れても悔いは無い。
店の入口を確認する。病が蔓延るこの世の中は、大抵の店が14時に店仕舞いとなる。だが、今日は運が良かった。この店は15時までやっていた。
もはや迷いは消えた。俺は意を決して店に入る。
「へいらっしゃい」
店の中身客は俺一人。テレビにはスポーツ中継が流されており、暇を持て余した定員のおっちゃんが眺めている。うむ、完璧だ。想定通りの街の中華料理屋だ。
俺は壁にはられたメニューを見る。二段に並んだ上段の方は、一番右にラーメン、続いてチャーシューメン、さらに味噌ラーメンや塩ラーメンなどが並んでいる。下段にはチャーハンやギョウザといった揺るぎないメニューが陣形を固めている。
注文は決まっている。ここで手を上げておっちゃんを呼ぶ。
「すみませーん」
「はい」
「ラーメンとギョウザで」
「はいよ」
おっちゃんはよっこらせと椅子から立ち上がると、早速調理に取り掛かる。
その間、特にすることがないかと言われれば、もちろんそんなことはない。壁のメニューはひとしきり見渡したが、テーブル上には小さなメニュー表が立っていた。中華料理屋でお馴染みの、両面印刷をプラスチック板で挟んだやつだ。
そちらのメニューも眺めてみる。表側の内容は壁のものと同じだが、裏返すと前菜と書かれたチャーシューやメンマが並ぶ。中華料理屋で前菜といえばツマミであり、当然ながらビールも並んでいる。
なかなかどうして、よく仕上がっている店だ。と、ビールの下に日本酒の文字が。値段はビールより100円ほど高い。銘柄が書いてあることから十把一絡げの安酒ではなく、おそらく地酒だろうか。もっとも、時制と時間が合わないので、今日は楽しめそうにないのがもったいないが。
前菜と酒類の横にはライスとスープが安い値段で並んでいる。ラーメンにライスを添えるもよし、ギョウザや一品料理にライスとスープを合わせて定食にするもよしといったところか。あえてライスとスープを一品料理と分断することで、夜は居酒屋としても立ち上がってくるという鉄板のメニュー構成だ。
テーブル上のメニューをひとしきり確認すると、もはややることがなくなったのでぼんやりとテレビを見る。ふと、ここで気がついた。テレビの下に『冷やし中華』の文字が佇んでいるではないか。
よもやこんなところに伏兵がいたとは。夏真っ盛りの季節柄、ましてやこういった中華料理屋で存在しないわけがない風物詩であったが、ラーメンとギョウザで胃と脳が完全にスタンバイされていたので見逃してしまった。
しかし、今回に限って悔いは無い。初めて入る中華料理屋で注文するのはラーメンとギョウザ、これが俺の譲れないスタイルだ。
ラーメンとギョウザは中華料理屋の試金石だ。店の味の基本が出ていると言っても過言ではない。ラーメンとギョウザが口に合わない中華料理屋は、大抵の料理が口に合わない。いかなるメニューが立ち並んでいようと、こればかりは譲れないのだ。
とはいえ、店の看板メニューが別で存在しているならば話は別だ。ラーメンとギョウザが中華料理屋の試金石なら、看板メニューは金塊だ。店が磨き上げた黄金をみすみす見逃す採掘者はいない、というわけだ。
さて、そうこうしていると、いよいよラーメンが現れた。
初見の印象は、「とにかく器がデカイ」という点だろうか。おそらく、この店は大盛りと並盛で器を使い分けていない。スープの量だけは器のサイズに合わせて注がれており、想定していたラーメンよりかなりスープが多い。そのスープは醤油ラーメンにしては少々色濃く、まるで黒い深海である。
具材は丸いチャーシューが1枚とメンマ、薄めに小口切りにしたネギ。そして極めつけは6枚切りサイズの海苔が1枚。中華料理屋のラーメンとしてほぼ100点の仕上がりである。
惜しむらくはナルトが乗っていないことだが、しかし、高級志向ラーメンがメジャーとなった現代に置いては、ナルトが乗っているだけで安っぽいという印象を与えやすいため、あえてナルトをオミットするスタイルの中華料理屋も増えていると聞く。時代の移り変わりとは、かくも素早く、そして儚いものである。
ギョウザが同時に来なかったのが少々気掛かりではあったが、とりあえずラーメンを進めていった。麺は典型的な中華料理屋のラーメンの麺であり、スープも典型的な中華料理屋のラーメンの麺だ。特徴がないのが特徴とも言えるだろう。
昨今の高級オリジナル思考のラーメンにおいては、このようなラーメンは時代遅れも甚だしいという扱いを受けるだろう。流行りのラーメンと言えば、麺は太めや細めなどの差はあるものの、加水率を低めにしたコシの強い麺が主流だ。スープも複数の動物性の出汁を合わせて複雑な味わいにするか、あるいは出汁粉をふんだんに使うなどしてとにかく一口目からのインパクトを叩き込んでくる超攻撃型のスープがしのぎを削っている。
ところが、このラーメンはといえばどうだ。麺は加水率たっぷりで柔らかく、かといって伸びているわけではない。歯ごたえよりも口当たりと喉越しを重視した麺である。合わせたスープは鶏ガラ中心の微かだが確かな旨味でシンプルに仕上げられた攻撃力ゼロのスープである。
しかし、これでよい。これだからこそ、良いのだ。真っ向勝負をしてくるラーメンではなく、ただそこにあるという空気のようなラーメン。それゆえに、こちらも気張ること無く食することができる。
食事とは、日常のものとハレのものがある。世間を風靡するラーメンはどちらかといえばハレの食事である。しかし、そこまで気合いを入れてラーメン食べたい、というわけではない気分のときもある。そんな時に丁度良く五臓六腑にしみわたるのが、中華料理屋のラーメンだ。
中華料理屋のラーメンは、日本で独自進化した攻撃型ラーメンと比較して、一時期は支那そばと呼ばれることもあった。しかし、支那そばですら日本は貪欲に試行錯誤を繰り返していった結果、今では一口に支那そばと言っても店によって千差万別。もはや支那そばというジャンルが確立してしまったとも言えるだろう。
そんな中でも、中華料理屋のラーメンは変わらない。いや、中華料理屋のラーメンというジャンルではあるのだが、店によってあまり差がないのが不思議なところだ。大体どこに行っても同じ味わいが出てくる。本当に不思議だが、しかし、実際にその様になっているのだからそうなのだとしか言いようがない。
さて、中華料理屋のラーメンといえば外せない物がある。コショウだ。当然、この店のテーブルに置いてあった。お目当てのコショウをラーメンに振りかける。エアコンが良く効いており、風に流されることを計算して丼の端にコショウを降ると、風に乗ったコショウたちが見事に中央に着地した。
コショウと一口に言っても、これまた昨今のラーメン事情では千差万別となっている。ホワイトペッパーとブラックペッパーだけに飽き足らず、ピンクペッパーやグリーンペッパーを置く店もあれば、その場で粒胡椒をひくタイプの店まである。
では、この中華料理屋のコショウはどうだったかといえば、ここは安心していただきたい。光沢のある群青色の瓶で有名な、ギャバンのホワイトペッパーだ。これは細かくひかれた粉末のコショウで、すぐにスープに解けて全体に均一なアクセントを加えてくれる。
惜しむらくはテーブルコショーでは無かったことだ。テーブルコショーの赤いフタは、中華料理屋のシンボルカラーのような佇まいであり、これがテーブル上にあるだけで雰囲気が跳ね上がる。
コショウの話はここらへんにしておこう。ラーメンを食べ進めていると、遅れてギョウザがやって来た。定番の楕円形の皿に乗った5つのギョウザは、ともすれば雑に盛り付けられているとも見ることができるだろう。だが、ここではこれで良い。間違いない正解の盛り付けだ。
中華料理屋のラーメンとギョウザというのは、どちらかといえばハレより日常に近い。そういったシチュエーションでは、雑な盛り付けが雰囲気を増すアクセントとなる。調理は目で食うという言葉があるが、あながち馬鹿にできないものである。
さて、テーブル上にはギャバンのホワイトペッパーの他に、醤油、酢、食べるラー油がある。ギョウザの食べ方は人ぞれぞれであり、こればかりは正解がない。気分によって調味料を使い分けることも、また一興だろう。今回は少々迷ったが、酢のみで行くことにした。
ギョウザのタレを作成する小皿は付いてこなかったため、5つのギョウザにダイレクトに酢をかける。日常の食事には、これくらいの雑さ加減で丁度よいのだ。
このギョウザだが、こいつには少々驚かされた。ニンニクとニラとショウガのインパクトがガツンと効いたタイプのギョウザであった。ラーメンで攻めてこない分、こちらに全力投球をしてきたか。いやはや、なかなかどうして、侮れない店である。
しかもこのギョウザのニンニク、摩り下ろした状態で販売されているニンニクではなく、おそらく生のニンニクを摩り下ろしている。苦味のような青臭さ……と書くと雑味のように聞こえるかもしれないが、雑味と言うよりは野趣と言うべき味だろう。
あまり万人受けする味ではないだろう、このようなギョウザが出てくるのは完全に予想外だった。しかし、ラーメンと合わせると完全に調和する。そういった前提で作られているのだろう味だった。
ギョウザというのも、日本に渡ってきてから数奇な運命によって変化していった料理である。もともとは厚い皮で肉と野菜を包んだ料理であり、それ単品で食べるものだったという。しかし、そこはすべての料理をご飯のおかずにする日本人、ギョウザも皮が薄くなり、小ぶりになり、味付けが濃くなり、おかずとしての立ち位置を確保していった。
このような背景を考えれば、この中華料理屋のギョウザの打撃力もうなずける。これは完全にご飯のおかずとして作られたギョウザだ。あるいは、ビールで流し込むためのギョウザであった。
夏の暑い中、人気のない中華料理屋でラーメンを食べていると、不思議な気分になってくる。いつもならこの時期は田舎に帰り、地元の寂れた中華料理屋でラーメンを食べていただろう。
しかし、今年は実家に帰ること叶わず、しかして中華料理屋でラーメンを食べることだけは叶っている。ノスタルジー、と言ってしまえばそれまでだが、しかし、考えてもみてほしい。調理は目で楽しむという言葉もあるが、目や舌から伝わってくる情報はすべて脳で処理される。そういう意味では、料理とは脳で食べるとも言える。そう考えると、思い出が味に加える影響というもの、個人的なことではあるが、なかなか無視できない情報なのだ。
さて、スープもしっかり飲み干したところで、閉店時間も押し迫ってきたので、さっさと会計を済ませて早々に店を出ることにした。
店の外はまだ夏の日差しが弱まること無く輝いていた。次にこの店に来るのが先か、あるいは実家に帰省できるようになるのが先か、はたまた、この店が時勢に耐えきれず滅びてしまうのが先か。未来のことというのは、まったくどうして予想できないものである。
最後になるが、店の評価としては★4.5となる。ほぼ100点の中華料理屋ではあったが、個人的に見落とせない部分があり、惜しくも★5には届かなかった。しかし、以降も精進してほしいかと言われれば、そんなことはない。日常の食事はこれくらい雑でよいのだ。そういう意味では、この店に与える★4.5は、★5よりもあるかに価値のあるものだと自負している。
この文章も、よくよく見れば雑なところが多々見受けられただろう。しかし、重ね重ねになるが、日常とはこれくらい雑でよいのだということを、どうかご理解いただきたい。
追伸
本来であれば然るべき場所にレビューとして投稿すべきであったが、惜しむべきことに店名を控えることを失念しており、店の名前がわからなくなってしまった。もったいないことだが、この場を借りて供養しようと思い筆を執った次第である。
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