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頑張った自分を思い出した断捨離(1)

私はまだ高齢者ではないが、持病があることや残された子どもたちが遺品整理で困らないようにと、数年前から終活を意識して機会を作ってはあちこちの要らないものを断捨離したり、エンディングノートに記載したりしている(その一方で増え続けるモノとも格闘している)。

今日、1人目の夫(離婚直後に交通事故で亡くなっている。1人目と書いたということは、2人目もいた【過去形】ということ)に関連する書類を整理しておこうと思い、書棚の下の開き戸を開けて以前にまとめてあった紙袋を取り出し、続いて子どもたちが見つけないように(死体検案書の内容があまりに凄惨で見せてはいけないと思った為)クローゼットに仕舞ってあった事故関連の手続き書類の入ったファイルボックスを取り出した。

紙袋にまとめてあったのは、元夫が最初の職場に居た時、残業代の未払いで労働裁判を起こした時のものだ。
物理的・時間的に定時で処理できる量ではない仕事量を与えられていたので当然残業することになるのだが、それに対する報酬が支払われていなかった。
元夫は職場の鍵を持たされており朝一番に出勤、帰りも施錠するのは元夫の役目だった。

パラパラとめくっていると、そこには私が元夫に「会社のタイムカードをコピーしてきて」と頼んで集めた勤務時間の記録と、それを元に私がExcelで一覧にまとめ、自分で残業時間を計算して入力した膨大な量の表、毎月の給料明細の束、それらを証拠とした弁護士作成の提訴の準備書面、答弁書、証拠の申出の書類などが出てきた。
厚みで言うと20cmくらい。

依頼した弁護士は、元夫の友人から「労働裁判に強い」ということで紹介を受けた先生だったが、元夫の代わりに裁判所に出廷したり提出する書類の作成はしてくれても、証拠集めや勤務先への聞き取りなどは一切して貰っていない。

提訴の根拠・証拠となる資料は私が1人で作成した。
当時は長女がまだ2歳頃で子育ても大変な時だ。でも、長女はとても賢く、オテンバではあったが四六時中手のかかるような子では無かったから出来たのだと思う。(そのことを2人目に生まれた長男の子育てで思い知ることになる ぴえん)

資料作成にはとても時間がかかったが、元夫の尊厳と私達家族の生活を守る為なら苦ではなかった。

「頑張ってたじゃん、私。」(自分で自分を褒めてあげたい)

結婚が決まった時、最初は私が住んでいた2DKのアパートにそのまま元夫が一緒に住むという計画だったが、義母のプライドがそれを許さず、義母に言われるがまま知り合いの紹介ということで新居となったのはオンボロ長屋の借家。しかも毎年家賃が1割上がるという。
横幅が一間分も無いような狭い台所ではポタポタと雨漏りがし、修理費用も家主負担ではなく賃借人負担。
天井裏を何匹もネズミが走り回り、隣家で喧嘩する夫婦の声も筒抜けという状態で、お風呂が家の裏庭の小屋にある為、一旦外に出なければ入れず(しかも脱衣所があるわけでもない)、随分と蚊に刺されたものだ。

私は妊娠して臨月を迎えても隣の県まで派遣で働きに行っていた。
その職場は大手ではなく友達同士3人だけで経営しているような今で言うならベンチャー企業のようなところだったが、結婚前から派遣されそこで働いていたことと、昼間はほとんど人がいなくなり電話番のようなものだったので気楽だったこともあって続けていた。

大きなお腹で最寄り駅まで歩き、満員電車に揺られて途中で乗り換え約1時間。 
駅についたらそこから古いビルまではすぐ。ただし、急な階段を上り5階へ上がる必要があるだけだ。(ぴえん)

定時で終業するのでそこから急いで駅に向かい、また満員電車に揺られて乗り換え、約1時間。
自宅に帰る途中のスーパーに寄って買い物をし、大食漢だった元夫のお腹を満たす量の食材を両手にぶら下げて帰る。

家に帰ると洗濯物を取り込む。急な階段(またかよ)を上がった2階に物干し場があったのだが、ヨッコラショとまたいで上がらないと物干し場へ上がれない。
取り込んだ洗濯物を持って急な階段を下り1階へ。
今度は夕食作りだ。まずご飯を炊く。
炊いている間に洗濯物を畳む。
畳み終わったらおかず作り。

ここまでやり終えて既に8時。
・・・とその頃ちょうど元夫が帰宅する。

出来上がったごはんを食べたら食器はそのまま。
次は寝転がって漫画を読み始める(当時まだスマホは無かった)。
後片付けも私。
食器洗いと片付けが終わり振り返ると元夫は既に夢の中。(疲れてるのね)
 しかし私も、トテモ トテモ トテモ クタビレテイル。

それでも、元夫と娘と一緒に暮らせるだけで幸せだった。
・・・と当時は思っていたが、ここまでの話を結婚した長女に笑いながら話したら、

「ほんま、すごいわ・・・」
「あり得へんわ・・・」
「私やったら無理・・・」
「ようやってたなぁ(涙)」

とドン引かれた。

当時まだ生まれてないから見てないもんね、そんな姿。

「頑張ってたじゃん、私。」(自分で自分を褒めてあげたい)

長女の誕生を期に仕事を辞めて子育てに専念した。
私はマルチタスクは苦手であり、仕事と子育ての両立が出来るとは自分では思えなかったからだ。

その長屋で長女を2歳まで育てていたが、ある夜ふと目が覚めると長女の枕元にネズミを発見!(ぴえん)
もうここで育てるのは危なすぎる・・・と思っていたところに残業代未払いの件もあって提訴に踏み切った。もちろん、勝てる見込みがあってのことだ。

結局、裁判は最後まで行われることはなく和解という形で本来の残業代には満たないがある程度の報酬は取り戻せた。(よかった)

・・・と思っていたら、この後、裁判をしていたことを知っていた義母から、「結婚前に無職(と言っても義母の希望で義兄の手伝いを無報酬でしていただけ)だった時の食費を貰っていない」と言われ、取り戻した報酬の半分以上が消え、ポタポタ雨漏りの台所の天井からある日バケツをひっくり返したような汚水が降り注いで雨漏りとは言えないような状態になった為、残ったお金も修理費用へと消えていった。

「頑張ってたじゃん、私。」(自分で自分を褒めてあげたい)

そして、元夫が転職して給料がUPしたのを機会に当時の「特優賃」に申し込んだら運良く当選。晴れて3LDKの新築マンションへ引っ越すこととなった。

・・・のだが、まだそれでは終わらなかった。(ぴえん)

つづく。



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