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【小説】東京スカイツリーにある「世界のビール博物館」で飲む平日ビールがすっごく美味しいんですよというはなし

※小説の記事です
※J.GARDEN46発行新刊「続、僕たちはあの日より」のおまけです

「高かったね、展望台で見るより高いなって思った」
「ガラスがあるかないかで変わるのかな……」
 東京スカイツリーの内部構造見学ツアーを終え、スカイツリーの足元へ戻ってきた。参加者に装着が義務付けられているヘルメットを取り、分厚いコートを脱ぎ、預けた荷物を回収して一息つく。
「あと、ちょっと寒かったね……コート借りればよかったかな」
 本来であれば一般客が立ち入る場所でないだけに、雨風を防ぐものは設置されていない。春風が思いの外冷たく、三十分ほどのツアーですっかり体が冷えてしまった。
「飯食えばあったまるんじゃない? 上に何かあると思う」
「そうだね、もうお昼は過ぎてるし……」
 ヘルメットでぺたんこになった髪を適当に指先で梳き、五十嵐が帽子を被りなおす。またぺたんこになるんじゃないかと思ったけれど、黙っておいた。

「いいのかな」
「いいよ」
 五十嵐がメニューを開く。ビールの銘柄がずらりと並んでいる。平日の昼間から、他の誰もが働いている時間にビールなんて、そんな贅沢をしても許されるのだろうか。なんというか、つい顔が緩んでしまう。
「俺はそんなに飲まないけど」
「五十嵐は弱いからなー……」
 お決まりですかと笑顔で注文を取りに来た店員に、頬を緩ませたままメニューを指さしていく。見知らぬ銘柄の瓶、五十嵐が選んだものもまた名前に聞き覚えのないものだ。合わせて、ドイツ産ソーセージだとか、チキンとポテトのフリッツだとか、適当に頼んでいく。
「五十嵐も食べたいの頼みなよ」
「うん」
 注文を取り終えた店員がテーブルを離れ、周囲の楽しそうな声とざわめきが耳に届く。平日はもっと人が少ないだろうと思っていたのだけれど、僕たちに年が近い人もいるようだった。
 窓際の席はといえば、海外から訪れたであろう人々がグラスを片手に街を見下ろしている。高いところから見た東京はなんだかミニチュアのビルが密集しているように見えて、少し不思議だ。スカイツリーの内側から見下ろした景色は、まだ鮮やかに残っている。
「牧、ビール来たよ」
「いつの間に……ごめん、ぼーっとしてた」
「ぼーっとしてるなと思った」
 五十嵐は自分のグラスを持ち上げ、僕のグラスにこつんとぶつけた。
「たまにはいいんじゃない、お休みだから」
「……そうかな」
 そうだよ、と相槌が帰ってくる。ぼんやりする時間も最近はそんなに持てていなかったような気がするし、何というか、休んでもいいのだなと思うと気持ちが楽になる。
「五十嵐、僕も乾杯するから待って」
 グラスを持ち上げ、かちりとぶつける。少し間があって、五十嵐が笑った。何というか、二人でいるのに一人ずつグラスを鳴らすなんて少し妙だなと思って、僕も笑った。
「なんか変な乾杯……」
 たまにはいいじゃん、と言い返してグラスに口をつける。舌の上を爽やかな苦みが抜け、喉へ落ちる。この一口目が美味いというのはいつでも変わらないのになと、ふと思った。

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