【小説】同人版 西荻窪・深山古書店の奇書|鍋をつつく話
凛太郎から夕食に誘われたのは昨晩のことだ。
曰く、懸賞でちょっとした鍋セットが当選したのだと言う。届いたはいいが明らかに三人前の量があり、食べきれないとふんで俺に声をかけたらしい。若い人の胃なら余裕で入るというその言葉に、まあ食べさせてもらえるものを断る理由もないだろうと了承の返事をした。
約束の時間、深山古書店を訪ねる前に手土産を考える。ご馳走してもらうのに手ぶらでいくのは気が引けて、凛太郎が喜びそうなものを見繕って持っていくことにした。
俺がわかる範囲の凛太郎の好みは、しょっぱいものよりは甘いもので、高いものよりは安いものだ。たたずまいが高級なものは取り扱いに緊張するのだという。諸々考えた結果、シュークリームをふたつ買っていくことにした。
「あ、一本木さん! いらっしゃい、待ってましたよ」
深山古書店は早々に閉店の札を下げている。営業時間なんてほとんど関係なく自由に開いたり閉まったりするあたり、凛太郎はいい加減だ。自分を優先している、と言い換えてもいいかもしれない。その自由なふるまいは俺には到底できそうにない。
「ご馳走になります。これ、お土産」
「そんな気を使わなくたっていいのに……それに敬語なんてやめてくださいって、お兄さん困っちゃいますよ」
シュークリームの入った箱を手渡せば、凛太郎はふにゃふにゃと笑った。それはそれとして甘いものは嬉しいらしい。
「お鍋なんで暖房はつけてないんすけど……寒かったらそれ羽織ってくださいね。うち、ぼろなんで夜はちょっと寒いんすよ」
凛太郎の指さす先を見れば、赤い半纏が座布団の上に乗っている。深山古書店は凛太郎の祖父の代からあるらしく、隙間風が少しある。よく見れば、凛太郎の座布団の後ろには脱ぎ捨てられたままの形で半纏が落ちている。寒くなっては羽織り、暑くなっては脱いでというのを繰り返していたらしい。
「いやあ、鍋なんて久しぶりだなあ……一人だと野菜煮込みって感じであんまりで、やらないんすよねえ」
喋りながら、凛太郎が鍋をセットしている。手持ち無沙汰になって、横に座って適当に手伝うことにした。どうやらカット野菜と肉がセットになっているものらしい。封を切って凛太郎に渡すと、凛太郎がそれを鍋の中に入れていく。
「……凛太郎は野菜煮込みも食べた方がいいと思う」
ちらと台所を見れば、インスタント麺やら、カレーのパウチがずらりと並んでいる。人の暮らしをどうこう言える立場ではないが、多少考えては欲しいと思ってしまう。凛太郎が元気で居てほしいというのは、本当にささやかな俺の願いでもある。
「えー……そうだなあ……じゃあ、時々一本木さんが付き合ってくれます?」
「何に?」
「鍋ですよ、鍋。ひとりで鍋つつくの、さみしいんですよ」
かち、とカセットコンロの電源が付く音がする。野菜って沸騰してからでしたっけ、と凛太郎が首を傾げている。どうだったっけ、と俺も同じように首を傾げる。互いに首を傾げたのが面白くて、小さく噴き出した。
「それは、全然。いつでも付き合うから呼んでくれ」
「えっ、いいんだ……お兄さん嬉しい! あ、その時はもう手土産いりませんからね!」
凛太郎が僅かに目を細めて、どこか照れたような顔をする。本当に聞いてもらえるとは思えなかったという顔をしていて、俺のことをどう思っているんだと少し考える。俺がというより、自分に付き合ってもらえるとは思っていなかったのかもしれない。
「……わかった」
次は手土産ではなくて、凛太郎に食わせたいから持ってきたのだと言うことにしよう。一緒に食べるつもりだからと言えば、凛太郎も納得するだろう。
その日を想像して、もう楽しみになってしまった。いつになるだろうかと考えながら、くつくつと煮える鍋を見ていた。
【あとがき】
先日、Skebにて素敵なイラストを描いていただいたので、そちらをイメージして小話を書きました。イラストはTwitterにてご確認いただけますと幸いです!