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「砂の記憶と風の言葉」

砂というものは、手の中に収まると
その隙間から少しずつ流れ落ちる。
風が吹けばさらに速く消え、
雨が降れば形を失い、
それでもその記憶は、
風に乗って言葉を運ぶ。

流れゆくものが教えてくれるのは、
とどまることの儚さと、
手放すことで得られる自由。

わたしもまた、
人生という砂を握りしめたり、
風に任せたりしながら生きてきた。


今日の朝、砂浜を散歩していると、
小さな子供が砂のお城を作りながら、
壊れるたびに笑っている姿を見ました。

その光景が、私の心の奥深くに響きました。
子供たちにとって砂はただの遊び道具。
しかし、大人にとっては消えてしまうもの、
失われるものの象徴のように感じることがあります。

わたしもまた、
「失う」ことを恐れる時期がありました。

娘が生まれてからは特に、
一瞬一瞬がかけがえのないものに見えて、
写真や動画で記録することに夢中になっていました。

それは娘が笑う顔や、泣いた時の表情、
手を伸ばして初めて歩いた瞬間まで。

「失わないように、忘れないように」と、
懸命に記録してきたのですが、
ある時、風が吹いたように、
「形に残すことだけが大切ではない」と気づいたのです。

砂の記憶の本質は、
手に残るのではなく、風に乗ること。

娘にも、
「どこへでも飛び立てるように」と、
自由に生きる力を与えたいと思い、
私自身もその背中を押す存在になろうと決めました。

今では、砂のように手放しながら、
それでも風の言葉で思いを伝え続けています。

そして、今日もnoteに書くのは、
「消えるからこそ美しい」ものについて。
記録として残すのではなく、
風に乗せて誰かの心に届けばいい、
そんな思いで書いています。

これを読んでくださる方にも、
どうか自分だけの「風の言葉」を見つけてほしい。
形にこだわらず、
流れるままの思いを信じてほしい。

わたしはnoteを通じて、
消えゆく砂の記憶を誰かに手渡すため、
今日も新しい言葉を探しています。

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