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"わたしの産後"から"すべての家族の産後"へ②【3w3d】

こんにちは☀️
NPO法人マドレボニータ
産後セルフケアインストラクター
養成スクール生のかにちゃんです🦀✨

今日は、昨日に引き続き
"わたしの産後"から
"全ての家族の産後"へ
というタイトルで書いていきます。

①はこちら

わたしの産後物語を読んでいただき、今まさに妊娠中、産後を迎えたどなたかの力になればと思い、振り返り書いています。

2  わたしの産前産後(2人目)

⑴妊娠〜出産

わたしの2人目妊娠は、奇跡的にやってきました。2021年5月。

その頃はマドレボニータ栃木でたくさん活動していて、とても元気でしたし既にマドレボニータの

\\産後セルフケアインストラクター//

を目指していました🔴

ただ、この時ははまだ育休中で、復帰することも考えていましたし、自分の今後の人生設計の中で

\\子を持って復職//

することも貴重な体験だと捉えていました。

そのため、上司には年度はじめに1月に復職という報告をしていましたし、私もそのつもりでいました。

1人目の時と違っていたのは、妊娠するまで

身体も心もとっても元気!

ということでした。

なかなか、授からなかった1人目と違い奇跡的に授かった2人目。

ただ、つわりの辛さは同じ、いやそれ以上に上の子を抱えてのつわり期はしんどかったです。

辛かったこと
・好きな時間にトイレに行けない
・食べたくなくてもご飯を作る
・気持ち悪くてもご飯を食べさせなければならない
・寝たい時に寝られない
・身体が重くても外遊び

書き出したらキリがないですが、こんな感じでした。

1人目と違って吐きづわりではなく食べづわりのような感じもあったので、食べられるものを探して食べていた感じです。

トイレにこもって…ということはなかった
(というより、できなかった)
第2子つわり期でした。

第1子の時と大きく違ったのは、※マドレボニータ栃木のメンバーに

\\※産褥ヘルプ//

をお願いしていたことでした!!


※マドレボニータ栃木
マドレボニータの産後ケア教室などの卒業生で構成された、産後ケア普及や会員交流、地域への啓発を目的として活動している任意団体。

※産褥ヘルプとは、産後に高価なお祝いを贈る代わりに時間と手をみんなで差しのべ、家事や子ども・赤ちゃんのお世話と言ったお手伝いをプレゼントすること。

コロナ禍といえども、赤ちゃんは生まれてきます。

第二子の産前にわたしが心配していた産後のことは

・産後の上の子との関わり方のこと
・2人同時にお風呂に入れること
・2人育児ワンオペのコツ
・おすすめのおくるみ
・入院中の上の子
・オムツポーチどんなの使ってる?
・内祝い

などでした。

物理的なものから、やり方、関わり方など、幅広く疑問がありましたが、都度オンラインZoomでお話を聴かせてもらったり、先輩母のマドレ栃木メンバーの皆さんからスレッドに書き込みをしてもらったりしました。

そうやって産前から2人目を迎える産後の生活のことを少しずつイメージできたことはとてもよかったです。
(おくるみやオムツポーチ、内祝いもとても参考になりました♡)

直接的なサポートはもちろんですが、こうして自分が気になっていることを産前から解決できたことで、2人目産後の大きな一歩を産前から踏み出せていたように感じています。

やはりすぐに相談したり、話せる仲間がいることはとても心強かったです。

とはいえ、わたしが想像不足だったのはやはり

"産後のわたしの身体"

のことでした。

赤ちゃんが生まれてくるまで、心のどこかで

1人目はちゃんと産めたし、きっと2人目立って大丈夫だろう

という何の根拠もない自信と、想像不足。

周りの諸先輩方や、オンラインの情報からは

"2人目は早まることが多い"

と聴いていて、2月22日の予定日よりは早く産まれるのかな…なんて思っていたのですが、わたしの場合は1週間以上遅れて入院。

"陣痛こなければ翌日促進剤ですよー"
と看護師さんに言われたその夜に陣痛
☞生まれてきました👶

陣痛時間は1人目より短かったものの、3700gを超える大きさで、わたしの恥骨が壊れました。。。

⑵出産当日〜退院
\\😭壊れた恥骨😭//

やや衝撃的なサブタイトルつけさせていただきましたが。。。

産後直後にわたしの恥骨が壊れました。※

※現時点で産後1年2ヶ月経過していますが、無事に治っています!!

恥骨結合離開

この病名で入院が11日に延びました。

まず、産後(出産は午前2頃です)直後の状態を書いてみます。

・分娩台から降りられない
(下半身に力が入らない&動かすと激痛)
☞他のお産も続いており、とりあえず朝まで分娩台にて待機

・朝になり、何度もチャレンジするが変わらず
☞結局、ストレッチャーから病室のベッドに運ばれる

・ベッドに寝かされたものの、寝返りはおろか、起き上がることもできない
☞ベッドのリクライニング機能を使って起き上がったり、寝たりするが、身体のあちこちが痛い

・導尿していたものの、外した方が回復も早いのでは!?という先生の判断で外される
☞結果、トイレのたびにナースコールで2〜3人がかりの介助を得てトイレに行くことに

・メンタルきつい
☞トイレに間に合わず失敗したことも😭

続いて、少しずつですが🐢亀の歩みながら1日ごとに何かができるようになったりしていきます。

・寝返りはできないものの、リクライニングベッドの使い方が上手くなり、歩行器を借りたので、ベットから歩行器までめちゃくちゃゆっくりながらも1人でできたり。

なかなか自分の状態が受け入れられず
泣きながら自撮りした一枚なのです🥺

・上半身は元気なので、やたら車椅子の操作が上手くなって来たり
(調子に乗って上半身筋肉痛で、夜中痛くなりナースコール😵)

・何とかシャワーに入れたり
(立っている時間を少なく椅子を置いて🪑)
※浴槽に入るまでの足が上がらず、退院までシャワーのみでした。

なるべく、できないことに目を向けず機能よりここができた!と思うようにしました。

そして、何よりわたしの心の支えになったのが

産褥ヘルプチームの存在

でした。

23名の皆さんが、励ましのメッセージをくださったり、わたしの徒然日記を読んでくださったり。

そして、この時のわたしは

\\わたしは既にマドレに出会っているんだ//

という自信がありました。

産後は交通事故全治2ヶ月の状態だよ!
と産後ケア教室で教わりました。

わたしはまさに今その状態なんだ!
産後の養生とリハビリで絶対に回復するんだ❤️‍🩹

そんな気持ちを持ち続けました。

幸い大学病院で、助産師さんもたくさん!
ベテラン助産師さんが毎日のように身体をマッサージしに来てくださったり

わたしも産後尾骨折れたのよ!

と言って腰を固定するゴムチューブを個人的に貸してくださったり🥹

手厚い介助を受けて何とか退院まで頑張ることができました。

実は1人目の時も貧血気味で車椅子での退院でしたが、またしても恥骨痛につき車椅子。

わたしは2回とも車椅子退院でした。

退院日のわたし

そしてまた、自宅に帰ってからの闘いの日々がはじまります。

⑶退院後の生活

産後11日目に退院。

夫がレンタルのリクライニングベッドを用意してくれ、退院後1ヶ月くらいは寝たり起きたりもしんどかったのでそれを使いました。

自宅のお風呂が2階…という、設計失敗したなという事実はありましたが、退院時には階段もゆっくり登れるようになっていました。

ちょうど長男が幼稚園に入園するタイミングで、産前から、産後のスケジュールを綿密に組みました。

送迎・食事の用意・家事を誰がするか

などなどを産前から考えてはいたものの、予想より動けないわたしに皆、戸惑っていたと思います。

わたし自身も

早く動けるようにならなきゃ!

という焦りもありましたが、とりあえず養生だとなるべく周りを頼ることにしました。

そして、退院後は産褥ヘルプチームにあてた日記も書き始めました。

退院時の記録など。
毎日書きました

こうして、わたしの第2子産後の退院後の生活がスタートしていきました。

マドレを知っていたから全てがうまくいったか?というとそうではありませんが、少なくとも産後の知識を得て、仲間を得ていたわたしでなければこの産後は乗り越えられなかったであろうと想像しています。

第2子産後の現実はかなり辛いものでした。

そこからの生還!というと大袈裟ですが、再び産後の養生を終えたわたしは

\\マドレボニータの産後ケア教室//

へ通いはじめます。

今日も読んでいただきありがとうございました🦀✨

続きはまた明日です!