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なんで東さんがリベラルから批判されるんか、よう分からんのです:読書録「訂正可能性の哲学」
・訂正可能性の哲学
著者:東浩紀 ナレーター:宮尾透
出版:ゲンロン(audible版)
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たまたまAudibleになってるのを見かけて聞いてみました。
「訂正する力」はもう読んでいるので、こちらのほうはオーディオブックで軽く聞き流すのでいいのかなぁ…くらいの感覚でした。
いやでもこれかなり良い本です。
ちょっと改めてオーディオブックじゃなくてちゃんと読んだほうがいいかなぁと考えているくらい。
こういう本オーディオブックだと流れていっちゃうから、考えながら聞くには向かないんですよね。
サマリー
正しいことしか許されない時代に、 「誤る」ことの価値を考える。世界を覆う分断と人工知能の幻想を乗り越えるためには、 「訂正可能性」に開かれることが必要だ。 ウィトゲンシュタインを、ルソーを、ドストエフスキーを、 アーレントを新たに読み替え、 ビッグデータからこぼれ落ちる「私」の固有性をすくい出す。 ベストセラー『観光客の哲学』 をさらに先に進める、 著者30年の到達点。
(audibleより)
第1部 家族と訂正可能性
• 第1章 家族的なものとその敵
• 第2章 訂正可能性の共同体
• 第3章 家族と観光客
• 第4章 持続する公共性へ
第2部 一般意志再考
• 第5章 人工知能民主主義の誕生
• 第6章 一般意志という謎
• 第7章 ビッグデータと「私」の問題
• 第8章 自然と訂正可能性
• 第9章 対話、結社、民主主義
• おわりに
ザクッと言えば、東さんが現実社会を見て、その中で哲学が何が具体的にできるかを考えながら論じた本じゃないかと。
第1部では「分断」が深刻化する中で、どうやって社会を形成していくか
第2部ではAIを中心としたデジタル技術が進んでいく中で、民主行どういう風に機能させていくか
もしかしたら東さんの問題意識とは違うのかもしれませんけれどもw、僕はそういう視点で聞いていました
「分断」については、よく「中間層/中間組織」の立て直し…みたいなことが語られることがあるんですけど、僕はちょっとそれには違和感があったんですよね。
もちろん意図するところはよくわかるし、そこに意味があるとも思うんですけど、そもそも「中間組織」自体組織である以上、排他的な部分が発生するんじゃないかと。
そして、その排他性がさらなる「分断」につながっていくリスクも…
まぁ個人的に組織の中での同調圧力的なものが苦手なんでセンシブルになりすぎてるかもしれないんですけどw。
「訂正可能性」っていうのはそういう意味で言うと、新しく橋渡しになるような組織や階層を作っていくんじゃなくて、今ある階層に柔軟性を持ち込むことによって、その分断の厳しさを緩和させると言う点において意義があると言う風に僕は捉えました。
その階層を支えているルールそのものを訂正可能性によってずらしていく…そういうことです。
それが現実的に可能なのかどうかはわからないんですけれども、少なくとも分断が厳しくなった階層を解体するとか、橋渡しに層を作るよりはと言うよりは、ずっと「あり得る」方策なのではないかと。
少なくとも、東さんは一生懸命それをやろうとしてるように僕には見えます
第2部のほうは行ってみれば、東さんのかつての「一般意志2.0」の延長戦というか、語り直しというか、バージョンアップというか…という感じですかね。
正直言ってルソーの思想を丁寧にフォローしつつ「一般意志」における訂正可能性の可能性を論じるあたりは結構追いかけるのがしんどかったんですけどw、デジタル技術やAIの進化によって、ある意味人々の意見の集約とか整理がしやすくなっている現状を考えると、論じておく必要性がある分野だと思います。
この間の都知事選で、東さんは安野貴博さんのことを高く評価されてましたけれども、一方で懸念なんかもお持ちになっていた様子でした。
そこら辺の認識と問題意識っていうのがここに重なってるんじゃないですかね。
まぁ、この1ヵ月ほどで、AIのほうの進展の速度ってなものすごく上がってきていて、具体的な利用とか実装っていうのが見えてきた部分があると思うんですけど、一方でそれだけに限界と言うのも見えてきているとも思います。
端的に言えば「正しいこと」というのは、どんどんどんどん教えてくれるようにはなってきています。
でも何について正しいことなのかとか、その正しいことをどうやって現実の中で実現させていくのかとかって言う事は結局のところAIだけではできないことなんですよね。
そこにAIの限界と言うのはあるし、人間がやらなきゃいけないこともある。
そういうことがAIの進展の中で見えてきているというのが今の状況だと思います。
安野さんの提唱するデジタル民主主義っていうのは、もはや夢物語じゃなくてかなり現実的なものになってきていますけれども、その中でどうやって人間あるいは政治を位置づけていくのか、安野さん自身はかなりここに意識的だとは思いますけれども、そのことをもう一度きっちりと整理しておくと言うことが必要だというのが、この第2部のポイントなんじゃないでしょうか
それは例えば、マイナンバーカードを紙の保険証に戻すと言ったような回帰的なものじゃないってのもあって、だからこそ、東さんは安野さんの取り組みに興味を持たれただろうと思っています。
哲学を理念を振り回すだけじゃなくて、現実と連動させながら生きたものにしていくと言う東さんの動きはすごく興味深いし、賛同できる面も少なくないです。
最近アルコールを控えて頭をクリアにしようとされている姿勢もいいですねw。
そのスタンスはなぜかリベラルには理解されなくて、リベラルの敵みたいな位置づけになってるのはほんとよくわからないんですけどね。
まぁ保守かもしんないけど右翼じゃないでしょう。
本当の意味のリベラルに近い人だと、僕はずっと東さんの事は考えてるんですけど、なんかそうならないんですよね。
そこら辺はずっと不思議に思っています。
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