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書記の読書記録#56「長くつ下のピッピ(3部作)」
A.リンドグレーン「長くつ下のピッピ(3部作)」のレビュー
菱木 晃子訳,岩波文庫の新訳で読んだ。
レビュー(ネタバレあり)
「長くつ下のピッピ」
1945年スウェーデンでの作品,ピッピについて,「世界一つよい女の子」でその「楽」に全振りする様子から「天衣無縫」と評されることも少なくない。彼女の見る世界は,現代社会よりも遥かに広々としていて発見に満ちている。子どもの憧れそのものともいえる。
「ピッピ 船にのる」
ピッピの父親がやってくるのだが,まあこの親にしてこの子ありといった感じである。完全にギャグ補正かかっている。ところで,ピッピがホラを吹くのを,トミーが「思いついたでたらめをお話にしてるだけ」と表現している(ピッピに感心されている)のだが,どうなのだろうか。
児童文学を批評的に捉えるのに,「子どもの権利」から見るのは一つの方向性だと思う。作者リンドグレーンは動物愛護や子どもたちへの体罰反対を訴えたことでも有名であり,その影響は「スウェーデン親子法」にまで及んだ。作品においても,馬のムチ打ちに対するピッピの行動にその精神が表れている。
「ピッピ 南の島へ」
今まで異国についてのホラを吹いていたピッピが,とうとう本当の異国である南の島へ行く。ノリは今までと変わらない。
やはり本巻でも児童の権利に対する見解がところどころに見られる。作者の書く敵(ここではそう表現する)は,作中では大抵ピッピに懲らしめられるわけであるが,現実社会では思いの外強大な存在であろう。ピッピの存在は児童にとっての安全安心そのものであり,一部のキャラクターはピッピをその点で信頼している。
そして終わりは突然にやってくる。言い出しっぺはトミーで,「おとなになんか,なりたくない」ということ。ピッピいわくおとなとは
「つまらない仕事を山ほどして,かっこ悪い服を着て,ウオノメをつくって,税金(原文ではぞうきんと言っている)もおさめないといけない」
普段ホラを吹きまくっているとは思えないほど,真理を突いているのではないか。それで丸薬を飲むわけだが……
子どもはいずれおとなになる。これはピッピでもどうしようもないことである。だからこそ子どもの経験は計り知れない経験に満ちている,そうであってほしいと,本作でのピッピ作者の願望を指し示しているのかもしれない。
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