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骨は拾わない-すずころ日和 命-

昨日、ドッグランに行ってきて飼い主はまだそのなごりがある。
しかし、黒柴すずは綺麗にリセットされたようで、朝も2.5 キロ歩いてきました。

おはようございます。皐月です。

週4日!と気合をいれて出勤&登校している方もいるのではないかと思う火曜日の朝。

さて「骨を拾う」

この言葉で連想すること。
「骨はきちんと拾ってやるから!行ってこい!!」
と背中を押す時。

そして

言葉そのもの、「骨」を骨壷にいれるとき


昨日行ったドッグランの横にある動物霊園。
ここに我が愛犬タローは眠っている。


亡くなって3年たったときに「きっとまたどこかの可愛がってくれるお家のワンコとして生まれ変わったね」と不思議とそんな気持ちになった。

昔の人が3回忌を作った?意味がなんとなく実感できる年月。


亡くなって12年。

当時、その動物霊園はできたばかりだった。
わたしはタローが命を終えた翌日に、泣きながら懐かしのタウンページやネットを開いて火葬と埋葬先を探した。

タローはわたしの犬、だった。


なので最後までわたしが面倒をみる。
だからわたしが最後の場所も探した。


動物霊園って、しかたないのでしょうが山の中が多い。
暗い、通ったことのないような道を抜けた先にある。

「暗い、こんな山奥につれていかないといけないのか」

車で遺体を引き取りに来てくれて、その場で火葬してくれる車とか。
霊園につれていってくれて火葬後遺骨だけ持ってきてくれる、とか。
色々あった。

当時引き取って火葬のサービスをしていた業者が、実は火葬後骨を適当に処分していて敷地内に散乱していた。というニュースもあり、迷った。

ただ、早く火葬してあげなければ。

燃やしたくなんてない気持ちと、腐らすなんてとんでもない、という気持ち。
亡くなった時期は6月末日だった。

そんな中で見つけたのが当時できたばかりの霊園。
ホームページをみると、山といっても住宅地のすぐ上。
なにより白を基調として明るく綺麗だった。

料金は高いのか安いのかはよくわからなかったが、明るくきれいで通いやすい場所。これが決め手だった。

亡くなった日の深夜、仕事後にタクシーで駆けつけた兄が
「悪いけど明日は行けないから、タローを見送ってやって」とポンと二万円渡してくれた。気持ちがありがたかった。

緊張しながら、電話をした。
時間と料金を確認し、簡単な式をオプションでつけた。

父が車を出してくれ、母と旦那さんと私。
タローをベビークーファンに入れて運んだ。

霊園では、タローを預けてから説明を受けた。
大きさから骨壷を選ぶ。それを入れる袋も。タローの首輪とリードはずっと赤。
赤色の袋を迷わず選んだ。

しばらくして、呼ばれて祭壇にいった。
隣にあった6畳ほどの狭い空間。
そこに横たわるタロー。白い体の周りを囲むように花を置いてくれていた。

若いスタッフの方が、お花を渡してくれて家族それぞれが花をタローの周りに添えた。

白いふわふわの身体。
カラフルな花がよく映えた。
おじいちゃんになって、毛並みも薄くなったけれど。

白だからよく映えるね。きれいだよ。


首輪とリードと痩せてからは冬に着せていた洋服をかけた。

ありがとう。ありがとう。
がんばったね。

そんな言葉しかでてこなかったように思う。涙でぐちゃぐちゃだった。

17年。

わたしの人生の半分以上を共にした存在を、もう見ることができなくなる。
焼かれてしまう。

「もうよろしいでしょうか?」


そんなかけ声だったかと思うが、頷くしかなかった。
タローとのお別れ。

前日に命を引き取った瞬間。
天に旅立った瞬間。
お別れは訪れたのだけれど。
存在自体が目の前からいなくなる。


もう一度、お別れ。

本当のお別れ。

別室で待つ間は、何を話していたのかは覚えていない。
高温で焼かれているであろうタローを思い、焼却炉からでてくる煙を想像した。
これが最善なのだ、と頭の中で繰り返した。

火葬が終わり、スタッフの方から声がかかった。


骨を拾う。


家族としての最後の務めなのだと思う。

でもこれを断固拒否した。これはずっと前から決めていた。


わたしは骨は拾わない。


父は本当にいいのか?拾ってあげてこそ供養だと、言った。
母は、理解してくれた。

わたしの中のタローは「白くふわふわの犬」の姿で終わりたい。

タローの最後の姿が「骨」の姿はイヤだった。
衝撃を受けて、きっとその姿ばかりを思い出すだろう。

違う。わたしのそばにずっといてくれたタローは骨じゃない。


白い大きな犬。それがタローだ。

わたしの代わりにと、旦那さんが拾ってくれた。
ずっと泣いていた母も、さっぱりとした顔で戻ってきた。
「きれいな骨だった。とても上手に焼いてくれた」と。

タローは、小さな骨壷はきれいな赤い袋に入れられ、わたしの手に戻ってきた。

父は何度も「ほんとによかったの?」と言っては母に小突かれていた。

これでよかった。
わたしは今も後悔していない。
ワガママを聞いてくれた家族には感謝している。

わたしが最後に目に焼き付けたのは眠るように目をとじたタローの姿。

愛する家族が骨を拾ってくれた。
わたしの気持ちを知っている旦那さんが代わりをつとめてくれた。
ありがたかった。 

骨はしばらく実家に置いていたが、そろそろ…と促されて1ヶ月ほどで霊園の棚に納めた。お墓は作らなかった。

葬儀の料金も管理費も兄の援助を含めて全てわたしが払った。
飼い主としてのけじめだった。


そして3年経って、共同墓地に埋めてもらった。


ドッグランはさそってくれた友人がたまたま霊園横のその場所を利用していた。

出来たころとは様変わり、賑やかな声で包まれている場所。
横には霊園も火葬場もある。

ドッグランができた、と聞いた時は「静かに眠れないじゃないか」と不謹慎だという思いもあったが、なるほど悪くないなと思った。

賑やかで明るい、犬と人が集う場所。

愛された動物たちが眠る霊園。人の気配があるほうが喜ぶだろう。
寂しい、さびれた雰囲気があるよりずっといい。

ドッグランの順番待ちの間に、タローにお線香をあげた。
手を合わせ終わると、下の子が横で静かに手を合わせてくれていた。
「タローちゃんはここにいるんだよね」
子どもの気持ちが嬉しかった。

うん、そうだよ。きっともう生まれ変わっているけどね。

そんな会話をした。
さあ、これからすずは初めてのドッグランだね。
楽しみだね!

そう言って、共同墓地をあとにした。


共にいった友人にも亡くなった先代犬が2匹いる。
彼女は遺骨を持ち歩いている、ときれいな色のキーホルダーを見せてくれた。
いつも一緒にいるんだね、と話した。


供養の仕方は人それぞれ。
正解なんてなくて。
ただただ、納得できるやり方を選択できたら最善だと思う。

ここの霊園に決めてやはりよかった。


ねえ、タロー。
やきもち焼きのあなただけれど、妹犬を見守っていてね。


皐月



この文章書いてたら、びっくりするほど涙出てきたよ。
わー、ほんと。こんなに泣いちゃうのか。
びっくりした。
いつかわたしがそっちに行く時は、尻尾振ってまっててね。
やっぱ、今も大好きだよ。

写真は唯一残した足型。これ作る時、変な顔したよね。
焼き物だから、ちょっと縮んだけどご愛嬌w




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