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思い出「土手と、ヨモギと、イチゴ」

【よもぎ奪取作戦】

5歳の時。

この頃、埼玉県の三郷団地ん住んでいてた。

ここからバスで、10分位行った所に最寄り駅の三郷駅がある。

今は、三郷団地から歩いて行ける、新三郷と言う駅が出来た。

でも俺が5歳の頃は、新三郷と言う駅はなかった。

たまに母親とママ友に連れられ三郷駅の先にある江戸川土手に行っていた。

一緒にママ友の子供である友達も来るので、嬉しい。

俺は、江戸川土手に遊びに行くと、段ボール滑りができるから楽しかった。

でも、ただ遊びに行くだけではなかった。

真の目的は、よもぎ取り。

今は、雑草は不衛生で取って食べる事は、一般的では無い。

でも、この当時の文化は、普通に雑草を取ってよく料理していた。

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【快感ビート】

我々は、三郷駅に到着すると毎回駅ビルのイトーヨーカドーに寄っていた。

それは、土手滑りをする為の段ボールを入手する為だった。

ここで手ごろな段ボールを手に入れ、江戸川土手に向かうのが日課だった。

江戸川土手に到着すると、友達と俺と弟は、ここで段ボール滑りをする。

その間に母親たちは、よもぎをカゴいっぱいに取りまくっていた。

俺達は、上手く滑れない事があり、よく土手から転げ落ちていた。

傷はよくついていたが、それでも転げ落ちる事すら楽しい。

自分の意志でコントロールできないスリルが、面白くてしょうがなかった。

土手の上から下までうまく滑れると、更に嬉しくてしょうがなかった。

この頃は、楽しくて土手の上り下りの疲れなんて全く感じていなかった。

今思うと、子供の体力は無限大なのではないかと思う。

今では、階段を上がるのも面倒なのでとても無理だ。

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【酸っぱい思い出】

こうして遊んでいると母親たちも、よもぎを取り終わり帰る時間になる。

この時の母親たちは、ご満悦の顔をしていた。

よもぎのカゴの中を覗き込むと、野イチゴもたくさん入ってる。

俺は、イチゴは好きだから1個食べさせてもらった。

そうしたら、物凄く酸っぱい。

全然甘いイチゴの味ではなかった。

俺は、このイチゴを、まさか俺に食べさせるのではないかと心配になった。

そこで、母親にこのイチゴはどうするのか聞いてみた。

そうしたら、ジャムにするという。

俺は、このイチゴを食べなくて済むんだと思い、心底ホッとした。

こんな酸っぱいイチゴを食べたら気が狂いそうだ。

そして我々は、バスに乗り家に帰って行った。

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【ターゲット・ロックオン】

次の日、母親たちは早速、取って来たよもぎで料理をし始めた。

作る物は、毎回よもぎ餅と、よもぎ団子。

俺は、甘い物が大好きだから出来上がるのをいつも楽しみにしている。

この時料理を手伝った事があるが、力仕事ばかりで役に立たなかった。

唯一手伝えたのは、餅を丸める事くらい。

その前の工程の、餅とよもぎを混ぜる作業は、出来なかった。

俺は、この時不思議に感じた事がある。

何故母親たちは、よもぎの見分けがつくのかと言う事だった。

俺は、よもぎを見ても全く見分けがつかない。

この事を母親に聞いてみた。

そうしたら、よもぎの形だけを覚えれば探し出せるらしい。

でも俺には、全く見分けがつない。

タンポポの葉っぱとの違い位しか解らなかった。

そうしていると、よもぎ団子と、よもぎ餅が出来上がった。

いちごジャムは、時間がかかり出来上がるのは何日か先になるらしい。

そして俺は、早速お餅と団子を美味しくモシャモシャ食べまくった。

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ジョー「鏡面反射のデジタルアートブログ」(鈴木穣)
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