科学技術「今を作った勇者たち」
【我が名は、ジョゼフ・スワン】
電球を世界で1番最初に発明した人は、イギリス人だった。
名前は「ジョゼフ・スワン」という発明家。
電球のアイディアがひらめいて、1848年頃から実験をしていた。
そのアイディアは、まずガラスの中の空気の密度を少なくする。
その中に、紙を棒状に炭化させ硬くした物を入れる。
その紙を炭化させた物に、電気を流して熱の光で光を得るという物。
空気の密度を少なくすると、炎は出にくくなるが、熱自体は出る。
でも、実験はなかなか上手く行かなかった。
そして彼は、1860年頃まで12年間実験を続けた。
「文明を一変させた大発明」
そして1860年頃に、ようやく実際に発光させる事に成功した。
そして、イギリスで特許を取る事が出来た。
名前は「減圧バルブに炭素フィラメントを封入した電球」
でも、この時の電球は、数十秒位で光が消えてしまっていた。
原因は、炭化させた紙の「フィラメント」がすぐに燃え尽きてしまうから。
なので、実用品としては使えなかった。
その後もスワンは、改良する為に実験を継続した。
そして15年後の1875年に、更にガラス管の真空度を高める事に成功した。
改良点は、フィラメントの部分に木綿を使用した。
それに「苛性ソーダ」を染み込ませた。
「苛性ソーダ」とは、水道水の消毒に使われている物。
その木綿を炭化させた物を、発光する部分である「フィラメント」にした。
この電球は、1878年に特許を取得できた。
そして1881年に彼は「スワン電灯会社」を作る。
この会社で、電球の生産を開始した。
【日本の京都の竹】
スワン電灯会社設立から1年前。
アメリカの発明家「エジソン」は、この電球に目を付けた。
そして、スワンの電球の欠点を解決する研究を1877年頃から始めた。
「この発明は儲かる!」と思ったのだろう。
1878年「エジソン電灯会社」を、製造してない所か欠点解決前に設立。
とりあえず、側を固めてスワンにパクったと言わせない為だろう。
そこで、色々な素材で作ったフィラメントを試す。
そして1年半で1200回以上実験を行なわれた。
1879年10月、安定して2日間点灯させる事に成功した。
更にエジソンは、フィラメントの素材探しを続けて研究した。
そして、日本の京都の竹から作るフィラメントに辿りついた。
エジソンは、その竹から竹製フィラメント電球を作った。
エジソンは1880年に、電球を灯すのに必要な電気を作る会社を作った。
社名は「エジソン照明会社」
エジソンは、発電所まで作ってしまった。
【弱肉強食】
エジソンは、人々に電球を紹介する発表会を行い巧みな宣伝活動を行った。
その営業活動で電球は、あっという間に人々の認知を得た。
1882年にエジソンの会社は、スワンの会社に対し、特許侵害の通知をする。
エジソンがスワンの真似をしたのに、非常にずるいやり方だ。
でも、これこそが今でも続くアメリカの文化であり、まさに弱肉強食。
この国では、これが普通なのだ。
そして特許に関する対立が生じかけたが、両者は裁判沙汰にはしなかった。
むしろ協力する策を選び、1883年スワンの会社と合併する。
出来た会社は、イギリスのロンドンに本社と工場を置く事になった。
会社名は、「エジソン & スワン連合電灯会社」
この会社でスワンのセルロースのフィラメントの電球が製造された。
そして、これが初の電球業界の標準となった。
【発明家達と時代の夜明け】
1900年代初頭に電球の大きな変化が起きた。
それは、タングステン製のフィラメントが新たに登場した事だった。
これは、数年で以前の炭素製フィラメントから、全部世代交代した。
理由は、タングステンの融点の方が高かったおかげ。
そのお陰で、フィラメントを高い温度で点灯させる事が可能だった。
その為、より白っぽく、より明るく発光をさせる事ができた。
それが人々から大いに歓迎された。
1907年には、アメリカで初のタングステンフィラメントの電球が登場した。
1910年にはタングステンフィラメントの引っ張り加工が発明される。
それは、1913年にその特許が認められた。
電球が実用的な物として世の中に普及できた功労者は、彼ら以外にもいる。
スワンやエジソンの電球の性能や、品質の向上に必要だった物の開発。
例えば真空ポンプの性能向上や真空球作成技術の向上。
それを実現した「ハーマン・スプレンゲル」や「ウィリアム・クルックス」
彼らの発明も見落とすわけにはいかない。