退職に際して:最終出勤日まであと4日
先週でようやく引き継ぎのめどが立った
苦手なレクチャー祭りを終えたことで
そして自分がやらなければいけないタスクから解放されたことで
ようやく心が少しずつ軽くなっていくのを感じている。
余裕が出てくると
もう少しできたんじゃないか?
まだ頑張れたんじゃないか?
なんて考えてしまう瞬間があるけどそれは幻想だということもわかっている
辞めると決断して、こうやってタスクを減らして
もう終わる人間関係なんだからどう思われるかななんてことを考えなくていい(別に常にそんなこと考えなくていいのは承知の上で、気になってしまう自分がいるという意味で)
だから今の余裕が生まれているのだから。
辞めると周囲に伝えたあと、
一度だけご飯に行ったことがある他チームの人たちから
ご飯に行かないかと声をかけられた
そんなにかかわるほどだったかな、と純粋に疑問が出た
自チームでの送別会は本当に仲良くしてくれていたパートさんが少人数で企画してくれた。その気持ちが嬉しかった。
でも反面、疲れるなという気持ちもあった。
私、たぶん、もう二度と今の会社の人たちと会わない。
たとえ仲が良かったパートさんでも。
だって仕事以外のこと何も話すことない。
もうかかわることがない人たちに使う時間とかお金のことを考えてしまう私はだいぶ薄情なのか
雑談、が結構苦手だなと思う瞬間がある
聞く分には全然問題ない。話すのが苦手だ。
学生の時の友達で今も関係が続いてる子は雑談がとてもうまいなと思う。
だれの悪口でもなく、身近にあった出来事を面白おかしく話せる。
大人になると共通点がものすごく減る。
必然的に今の自分の仕事や恋愛とか人生に関する情報を提供する羽目になるのがすごく嫌なのだ。
昔から恋バナとか誰と誰が付き合ったとか本当にどうでもよかった。
だからオタク趣味があるととても楽だ。
自分のことを話さなくて済むから。
話が逸れたけど、会社の人と仕事の愚痴以外で話すことなんてないのだ
愚痴では発散できない不満が積もり積もりすぎてその環境から離れる身なのに
もう終わったことを話すのは無意味でしかないのに
とか考えちゃう
別に当日になったら適当にわいわい楽しめるんだとは思うんだけど
事前にモヤモヤと考えちゃうのはもう性質かもしれない。
退職を決めてから2週間くらいは引き継がなければならないタスクのスケジュールを組んで吐きそうになってたけど
順調に進んで3週間たったくらいから休日に「あ、ゲームしたいな」とか「本読みたい」ってやりたいことが出てきてしかもそれができるようになったことに驚いた
あ、元気になってきてるって思った
やりたくないことをやらなくていい、っていうのが一番幸せに近づくんじゃないかと思うね
本当に残る社員の人たちには仕事を押し付ける形になって申し訳なさもあるんだけど
私がいなくなるってなってから色々仕組運用が変わったところもあって
そりゃあそう、私がいなくても大丈夫なんだって強く思う。
いなくなるなら変わるんだよね。やる人がいなくなるのだから。
私が我慢してやってたことなんてその程度のことなのだ
残り数日、机のまわりを片付けて
周囲の人に挨拶し始める
立つ鳥跡を濁さず、でいけますように