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言語化できる人へのあこがれ


朝起きても昨日のラストマイルの余韻がすごいよ~・・・

私は本を読んだり、映画をみたりしたあとには必ず感想を検索して、
みんなはどう感じたんだろう?を読むのが大好き。

「私もそう思う~!だよね~」とか
「この人はそういう解釈をしたのか・・・なるほど新しい視点・・・」とか
共感と私にはなかった見方を知れたりするのがとても楽しい。


昨日も例にもれず、ラストマイルの感想を読み漁っていたのだけど、
こういう感想を読んでいると絶対にどこかには
自分もぼやっと感じてはいたけど、かゆいところをしっかりと人に伝わる言葉で表現できている人に出くわす。

なんてすごいんだ、格好いいな、と尊敬する。

自分が感じていたことをしっかり言語化してもらえると私もすっきりするし
嬉しくなる。
これって作品に対する感想だけじゃなくて、自分の気持ちに対してもそうだと思う。

何かにむかついたり、かなしくなったり、逆にうれしくなったりしたときに
自分が自分に対してきちんと言葉にして、外に出してアウトプットできるようになればもうちょっと生きやすくなったりしないもんかね、と考える。

わかりやすい人の文章って
伝えたい部分を太字にしていたり、小見出しをつけていたり
自分が描きたい文章ではなく、相手につたわる努力をした文章になってる。


私のnoteはまだ自分のための自分が描きたい文章にしかなってない、というかそれでいいと思って始めたんだけど。

少しは誰かに見てもらって、だれかと共感しあえるわかりやすい文章を目指して工夫をしてもいいのかななんて思った。

昨日の文章なんて頭の中でまとめもせず、思ったこと、思いついたことをばぁああああっと一気に書き出した感じだし(今もそう)

noteで発信する前に、まとめて何を言いたいのか明確にしてまとまった文章をだす練習をするのも自分のためになりそうだなって感じた。

でもまあそれが苦痛になって続かなくてやめちゃうくらいなら
今の自分の気持ちをただ垂れ流すのに使っても別にいいかなとも思う。

私はハードル上げすぎて、頑張りすぎて、疲れてやめちゃうから。


ちょっと話を戻して、
昨日のラストマイルのラストシーンのカギを渡された孔くんのことを考えた。
昨日は「次はお前がつぶれる番だ」的な社畜精神として受け取ったって感想を書いたんだけども、
パンフレットを見るに、あながちそれも間違ってないというか…

孔くんも走り回って爆弾をとめるのに必死に頑張ってはいたけどどこか他人事でいられた。エレナのサポート役。
そのエレナが辞めて今度は自分が責任者になる。
あのロッカーのメッセージに自分が真正面に向き合うことになる。
視聴者と同じポジションだった孔くんは最後まで視聴者と同じで「何も解決してない、お前はどうする?」と問われたのだとすると、


もうなんか吐きそうになった。


というか私もその責任の重さに耐えられなくて仕事辞めたようなもんだから…エレナみたいに私は向き合って一つの答えも出せずに逃げ出したようなもんだな…なんてちょっと落ち込んだ。

今回の映画で描かれた社会問題だけじゃなくて
そもそも働くということは誰かとかかわりあって、責任の生じるものであるということをなかなか受け止めきれてない子供なのかもしれない私は。

怖い。怖いなあ・・・・・・・。


昨日映画を見た後は打ちのめされて、面白かったけど2回みるのはいいかな…なんて感じてたくせに起きたらまた見たくなってる。
絶対2回みたらわかる表情とかセリフとかあるよねえ・・・

行こうかな。
あともうひとつ見たい映画あるんよね、「きみの色」ってやつ。

一日に2個の映画みるのって贅沢だよね~~~~時間があえばたまにやる。
(出不精なので、外出時にすべてをすませたくなってる性質もある…)

はああ映画みたあと最近必ず頭痛がするのだけ、なんとかならんかなああ
こんなに映画が好きなのに・・・・・・・・くすん。





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