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ポリアモリーとタンゴ 1

前日『恋愛とタンゴと私』と題して、講演会とデモを企画、運営、上演しました。なかなか好評でした。関係者の皆様ありがとうございます!

ノートでは、その話を別バージョンで少しずつお届けしようと思います。

まずはポリアモリーについて。色々定義はあるけど、僕のニュアンスはこんな感じ。

ポリアモリーとは

「もう恋人はずっとあなただけ」「最初で最後、人生一度の大恋愛」「こんなのはじめて。もう一生あなたしか見えない」はウソくさいのでポイしました、という態度。好きな人が新しく出来たら、ちゃんと恋人に言って、話し合いましょう。たまたま合意の上で肉体関係があったらそれは報告事項でございます。そりゃ人間ですので。嫉妬の感情も出てきましょうが、だからといって裏で工作して恋人を支配し所有しようとするのはダサい。嫉妬は打ち明けて、当事者みんなで話し合ってコントロールしましょう。そしたら、ジェラシーから少し解放されて楽だし、自分も好きな人と新しい恋にチャレンジ出来るし、昔の恋人にリアルタイムで応援してもらえるし、今の恋人に新しい別の恋人が出来るとさらに幸せになれたりします。ついでに自己投資にも仕事にも繋がったりして、人生お得感がでますよ。

ポリアモリーについては、小島雄一郎さんがヤバいくらいにわかりやすい良質のノートを沢山書いてくれてるので詳しくはそちらを。

https://note.com/you1026/m/m9b686bdb9fdc

ポリアモリー(「複数愛」と訳すけど、この訳語はダサくて大嫌い。なんか新しいの考えたい)はなんて怪しげな、というのが世間一般の「普通」の反応。普通とはマジョリティ、多数派の意味ですが、今世界の価値観がどんどんアップデートされてるので、まあ常に追い越される側の古い価値観、と考えてもいいかもしれません。

ポリアモリーの訳語は、イマイチしっくりこないのですが、愛の交響曲、愛の共鳴と発展、増殖する愛、繋がる愛、つながりの愛、くらいがいいなあと思ってます。増殖する優しさと忍耐力と思いやり、みたいなのがポリアモリーの理想である。いや、忍耐とかいっててはいけない感じですね。無理な忍耐なぞは、無駄な同調圧力を産むだけなので。あんまりガマンしちゃいけないし、もうしなくていい世界が来てる感じがしますね?

しかしながら、なぜそんな「ポリアモリー」的な怪しい価値観が生まれるのか?ちょっと自分語りを許してください。

僕は別にポリアモリー原理主義者でもなく、告白するとポリアモリーの反対側、「お前だけを一生死ぬまで全力で守るよ」的なことを信じて、実人生でもよく言ってしまう側です。しかも本気で。でも40も過ぎれば、流石に自分ツッコミが入るのです。「お前それ、何度目やねん!!」「キモ、まじキモい。僕が女の子ならドン引きだわ〜」。でも言ってしまう時はホントにそう思ってるのです。

なぜそんなことを口走ってしまうのか?それは洗脳されているからです。何に?「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」にです。

ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは

物凄く簡単に言えば、

一生のパートナーは1人だけ。その人と結婚して家庭を作って生涯添い遂げる。

嗚呼、ロマンチック。恋愛は人生の秘薬なり、です。

もうちょっと詳しい説明はこちらをご覧ください。講演で使ったスライド貼っておきます。

さらに詳しい説明は、wikiもそうですが、

千田有紀『日本型近代家族― どこから来てどこへ行くのか』勁草書房, 2011
上野千鶴子,「ロマンチックラブ・イデオロギーの解体」『増補<私>探しゲーム』筑摩書房 ,1992
山田昌弘,1994,『近代家族のゆくえ― 家族と愛情のパラドックス』新曜社. ─ ,1996,

くらい読むとまあ分かりやすく書いてあります。まあまとめ方は色々ですけどね。

ポリアモリーはこんなロマンティック・ラブ・イデオロギーの否定です。

引用書籍くらもわかる通り、今の家族、今のジェンダー観、今の恋愛観はもうアップデート時期だし、ガンガンアップデートされてくよね。という感じの方向性です。これって乗り遅れた人の方が人生損しますよね、というと怪しい情報商材ですが、でも多分ホントな気がしますよ。僕自身がアップデートされないと😅

次回からはそれがどう舞踏論とタンゴに繋がっているのかを見ていきます。お楽しみに。

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