見出し画像

しまだあや「小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話」を読む(泥酔気味読書感想文、あるいは便乗商法)

基本的に泣きやすい。くだらない恋愛映画でもよく泣く。例えば、『タイタニック』を見た時も、うーんこのロマンチック具合はイマイチ入れないんだよな、とか思いながら、周りの人がドン引きするぐらいの号泣っぷりになる。もうちょっと高級な恋愛映画、「ビフォーサンライズ」シリーズでも、多分半分くらいは泣きながら見ていた。えらく涙脆いのだ。

小学校1年生の観劇の催し。プロの売れない劇団が小学校にやって劇を演じてくれた。演題は「ゴンギツネ」。絶対泣くと分かっていた。案の定肩まで震わせて号泣。大好きだった女の子に、憐憫の目で見られながら「タカミ君泣いてる」と指を指される。またしても「女の腐ったヤツみたいにグズグズするな!」という母の怒鳴り声が頭に響く。

小さい頃からよく母に言われてたのだ。残念ながら母は、このタイプの教育は、20年後にはジェンダーバイアスを植え付けるダメな教育で、場合によっては、虐待とみなされることを知らなかった。そもそもが娘がほしくて男が生まれたから女っぽい名前、「隆美」を子供につけるって、どうよ?最初からジェンダーを撹乱しておいて、さらに男規範を植え付けるって。子供が迷子になるのも必定ー最近までそう思っていたが、そんな母も、良妻賢母とは程遠い、どちらかと言えば育児放棄型、ボケナス系母親であった。ボードレールをパクった倦怠に関する詩を書き散らして、売れない女優をやりながら、社会の圧力に逆らっていたのだろうと、最近共感するようにはなった。

仕方ないので、小学校のゴンギツネ事件以来、直立不動で一切鼻をすすらずに、静かに泣くテクニックを磨くようなった。なんなら、ちょっとアレルギー鼻炎がひどくて、感動してるわけではないんですけどね、的な体で。

というわけで、シネコンに「ドラえもん、のび太の新恐竜」を6歳の息子と見に行って号泣。鬼滅の刃はもちろん、「えんとつ町のプペル」「ポケットモンスター ココ」を息子と見に行って号泣。いつものように。直立不動で鼻を一切すすらずに、気づかれないように静かに号泣。大丈夫だろうと思ってたが、どうやら息子にはバレていたらしい。「パパも泣くくらいの感動篇だったね」笑ってフォローしてくる息子には参るのだよ。「「感動篇」なんて言葉をどこで覚えてきたんの?」「チラシに書いてあったよ」。多分何となくしか意味わかってないのだが、使い方はちゃんとあってるぞ、息子よ。

noteにて、しまだあや「小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話」を読む。深夜書斎で、ウイスキーを片手にスマホを持ちながら。映画館ではなかったが、やはり直立不動の号泣態勢に入る。これはヌードの話ではなく、写真家のパパの話ではないか。父親のいたたまれなさと、優しさと、苛立ちと暴力が、娘の優しさで、ふんわりとくるまれている親子の物語。こういうのは父親になってしまうと、ダメなのだよ。親のダメさを子供が許してあげる話は、本当にツボにハマってしまう。タイタニックの比ではない、ドラえもんクラスの感動篇。

もう一杯飲んでから寝よう。しまだあやにヤラレタ幸せな夜。感動篇なので皆様もぜひご一読を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?