細川周平「アメリカでは──カエターノ・ヴェローゾ『熱帯の真実』を読む」-その3
「英語を覚えなさい」
六〇年代後半、ビートルズやストーンズを外国語の歌として聴いた若者にとって、英語は特別な意味を持った。英語の響きはバンドのサウンドにあまりに組み込まれ、別の言語のカバー・バージョンを色あせた二級品にしてしまった。「英語の侵略」──アメリカがいう「英国の侵略」というよりも──は、各国で同時に進んだ消費文化──とりわけ都市中産階級の若者のライフスタイル──のアメリカ化のプロセスの一端を担っている。日本と同じように、ブラジルの当時のグループサウンズも英語名を好んだ。「ブラジルのラジオがポルトガル語の歌よりも英語の歌を多く流すのなら、製品や広告、店舗が、その包装やコピーや店頭に英語を使っているのなら、まともに学習されていない英語を世界に返してやり、英語と押しつけるという当の抑圧に対する抗議のための媒体とすることが、僕らにはできた。同時に、『外の世界』の人々と対話もしてみたかった」(426ページ)。英語は国際的なヒット曲を出したいという夢と結びついた。「普遍的サウンド」というキャッチフレーズにも、こうした願望が潜んでいる。「この世界の外にいる想像の話し相手」に向かってブラジルにいる自分の貧困や孤独を訴えたいと思ったのが、二枚目のソロに収録されている「ロスト・イン・ザ・パラダイス(楽園で見失って)」だった。「世界はぼくの名前、ぼくのサイズ/ぼくの名前の下に、ぼくがここにいる」。
最初のソロ・アルバム(一九六八年)のジャケットには、「合衆国に行きたいと思わない連中には、もはや希望はない。ぼくはよく練られた、評価に足るプロテスト・ソングを作ってみたいが、ポルトガル語じゃだめだ」と書いている。日本やイタリアやアルゼンチンのロッカーの間でも同時期に似たような英語熱があったが、英語の普遍性と国語の特殊性(「ブラジルという閉ざされた宇宙に風穴をあけたい」)のイデオロギー的な対比こそ、かつてのシナトラ熱やエルヴィス熱にはあまりなかったアメリカニズムの新たな様相だった。「文化帝国主義」という概念は、この時期の(つまり冷戦下の)アメリカ文化──必然的に大衆向けで低俗な大量生産物──の「侵略」を批判する左翼から生まれてきたが、トロピカリスタはむしろそれをパロディーとして逆用して、ブラジルのシュールレアリズム的なアレゴリーを提示した。アメリカのポップ・アートのアイロニーは、カルナバル的にもう一度ひねりを加えられた。
『トロピカリア』に収められた「ベイビー」は、題名が示しているように、アメリカニズムを主題にしている。男は恋人を「ベイビー」と呼び、「ぼくの知っていることを知りたいなら、英語を覚えな」と忠告している。「アイラブユー」と書いたTシャツで気持ちを伝えたいからだ。そして「君はピシーナ〔プール〕、マルガリナ〔マーガリン〕、カロリーナ〔シコ・ブアルキのラブソング〕、ガソリナ〔ガソリン〕について知らなくちゃいけない……君はソルヴェッチ〔アイスクリーム〕をランショネッチ〔軽食屋〕で食べなくちゃいけない」。女の子向けのポップソングを含むありきたりの消費財の列挙は、一種のウォホール効果をもたらしている。一つ一つに意味があるというよりも、陳腐な韻をふんで並んでいることに意味がある。二番で繰り返される「わかんないけど」は、これらを本当に知らなくてはならないといっているというよりも、モノに対するメランコリックな無関心を感じさせる。豊かな物質生活が、「ぼくらは南アメリカの最高の町に住んでいる」という自信につながっている。ブラジルは消費の側面ではアメリカにひけを取らない。英語もまた新しい消費のアイテムのひとつにすぎない。旋律は「カロリーナ」と同じほど古風で、ストリングスは無理やり叙情的を装っている。とりわけムタンチスやジルの複雑なサウンドの曲の後では、懐古趣味はとりわけ目立つ(だからこそこのアルバムで唯一、ヒットした)。甘ったるさはポール・アンカの「ダイアナ」の引用が上塗りする(ガル・コスタの別の録音では「バイアナ」〔バイーア女〕と呼びかえて、アメリカニズムを逆転した)。
白と黒の肖像
北米とブラジルの対比を最もわかりやすく打ち出したアルバムが、『シルクラドー・ライブ』(一九九三年)だろう。「君が黒でも白でもかまわない」と人種を越えた愛を讃えるマイケル・ジャクソンの「黒か白か」に続けて、「アメリカ人にとって白は白、黒は黒」と、それを否定する自作の「アメリカ人」を彼はぶつける。しかしアメリカ人は「混血女〔ムラータ〕」をどう扱ってよいかわからない。「ゲイはゲイ、マッチョはマッチョ/女は女、金は金」。アメリカ人は「とても統計的」なシステムによって、「いろいろな権利を獲得し、取引し、失い、譲渡し、独り占めする」。それに対して、ここブラジルでは「不確定は支配の制度/みんなぼくにもその秘密がわからないけど楽しげに踊っている/喜びと不幸の間で/怪物的なものとこの上ない最高のものとの間で」。アメリカ人は老いた人間で、やって来ては通りすぎていくだけ。彼らは明確な身振りと透明な笑いで人の奥底を見透かすようだが、自分のことだけはわからない。アメリカ人はブラジル人にとっては、束の間出会う他者にすぎない。ブラジルは世界を動かす「権利」を持っているわけではないが、不思議な力を持ち、幸福でも不幸でも踊っている。面白いことに、歌いだしは「ルイジアナの夜、貧しいアメリカ人」と黒人の可能性の高いアメリカ人に触れたり、アメリカ人と間違えられて襲われたイギリスやスペインの観光客に触れ、「アメリカ人」がヨーロッパ人と混同されていると暗示している。「アメリカ人」もまた「不確定」なのだ。
『トロピカリア2』の冒頭の曲「ハイチ」では、サンパウロの監獄の集団殺人を暗示する箇所で、この人種的な「不確定」indefinitionは「ほとんど」quasi という限定辞を繰り返すことで、表現されている。「……ほとんど黒い兵士の列が/なぐりつけている/黒いチンピラどもの、褐色の泥棒と、その他の黒人並みに扱われているほとんど白人の首を/ただほかのほとんど黒いのと(ほとんど全員黒人)、黒人並みに貧しいほとんど白いのに対する見せしめのため/黒人と貧乏人と混血と、ほんとに貧しいほとんど白人とほとんど黒人が/どう扱われるのか……」。「ほとんど」が何を修飾しているのかわかりにくい。重要なのは肌の色がグラデーションの中で、鮮明に確定できないということだ。
シルクラドーのライブは、アメリカで成功したカルメン・ミランダが、祖国のファンの意外な冷遇に心を傷めて歌った「私がアメリカ風になってもどってきたというの」へと続く。ブロードウェイで成功したカルメンは、アメリカ化したように見えても、サンバと「シュシュー入りのえびスープ」が一番好きとブラジルへの音楽的・食物的帰属を訴えた。彼の世代にとって、カルメンはアメリカのショービジネスを征服した誇りであると同時に、熱帯のステレオタイプを売った国辱でもあった。「トロピカリア」では、「カルメン・ミランダ・ダ・ダ・ダ・ダ」と、六〇年代半ばには忘れられていたアイコンが呼び戻されている。「ダ・ダ・ダ・ダ」は、ダダ運動はもちろんだが、同時にグラウベル・ローシャの『黒い神と白い悪魔』が鮮烈に描いた二〇世紀初頭のブラジル北東部のゲリラ(カンガセイロ)の情婦の名前にもかけている(206ページ)。カエターノにとって、「爆弾娘」(カルメンのあだ名)をトロピカリズモのマニフェストに投げ込むことは、アメリカのマス文化とブラジルの性的なイメージの受け入れを恥とするナショナリズムに対する、ゲリラの側からの「死の宣言」(284ページ)でもあった。
彼女のバロック趣味は、六〇年代半ばにニューヨークのアンダーグラウンドでもてはやされたキャンプの範疇に属する。あまりに表面的なマス文化に、ブルジョア趣味への対抗性を深読みするつむじ曲がりのスノビズムは、ポップ・アートの美学とも近い。誇張や流用や陳腐さや感傷は、キャンプになりうる。キャンプには、ジェンダーやセクシュアリティの混乱が含まれるが、これはカルメンの外見にとっても、トロピカリズモにとっても重要なテーマだった(カエターノは自分のなかの女性的なものについて何度か語っている)。カルメンの外見をいいあてるひとつの言葉は、カフォーナ(露悪趣味)で、これは実はカルナバルやシャクリーニャの均整を欠いた過剰な装飾と通じている。カエターノはシャクリーニャのショーでバナナの衣装やバナナの歌を歌いながら、カルメン・ミランダへの敬意を示していたのかもしれない。彼女は熱帯のステレオタイプを北米に見せびらかしながら、実はブラジル文化の精髄を披露していたのだから。[続く]