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【映画✖️心理学】雨の日は会えない、晴れた日は君を想う※ネタバレアリ

これは泣くための恋愛映画ではない。

抑圧している感情と向き合い、

自己の解放がテーマだった。

【雨の日は会えない、晴れた日は君を想う】

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涙腺崩壊を期待して再生したら、

最後まで一滴も涙が出なかった。

観賞後の感想は「ナニコレ??」、

モヤモヤする。

映像や音楽やストーリー展開で、「絶対にいい映画だ」という直感だけが強く残ったんです。

一度観ただけでこの映画を理解できなかったのが、とても悔しくて

1時間後に再鑑賞。

注意深く観進めると、たくさんの仕掛けがある。

そこかしこにあるストーリーの「違和感」が、成立するつじつまを、ひとつずつ見つけて、

10分おきくらいに納得しながら観る。

おもしろい!!凄く!!!

他の方の映画レビューや解説も読み、

皆さんいろいろな考察をしていて、それもおもしろかった。

ーーココカラネタバレーー

作中登場するシングルマザー「カレン」とその息子「クリス」。

私はこの2人は実在せず、

主人公である「デイヴィス」が、幼い頃に抑圧した自分を「クリス」、自分の母親を「カレン」として、自分の心の中に作り出したのではないかと思ったんですね。

大人になったデイヴィスの心の中で、思春期に抑圧したインナーチャイルド(クリス)と一緒に、現在の自分の感情を解放する作業をしているとして観ると、

デイヴィスの抑圧されている感情が、何かに投影されているシーンがいくつもあることに気づきます。

カレンには自分が幼い頃、母親にしてもらいたかったことを求め、そしてカレンはそれに応える。

これもカウンセリングでは良く行うワークで、

過去にできなかった、母親にしてほしかったことをイメージの中で実現することで、

現在の感情の抑圧を解放させることをするのと通じます。

冷蔵庫から始まり、エスプレッソマシーン、パソコン、トイレのドア、そして家。

いろいろなものを「破壊」するのは、抑圧した感情の蓋として使っている「怒り」の解放なのでは、と私は考えました。

これまた実際のカウンセリングでも、抑圧した感情の蓋を開けるために「怒り」の解放から始めることがあります。

怒りを解放していくと、その下に隠していた本当の自分や感情が出てくる。

映画でも「破壊行為」が進むにつれて、無表情だったデイヴィスとクリスの人間味が増していくのが描かれています。

そして、それと並行してこの2人がとても良く似ていることにも、気がつくと思います。

なぜ私がカレンとクリスが実在しないイメージの中の人物なのではと思ったかというと、

映画の最後、デイヴィスに宛てられた手紙のシーン。

まるでクリスからデイヴィスへのメッセージのように描かれているけれど、

そこは明確に表現されず、クリスがメッセージを読む声と、クリスが高い所からデイヴィスを眺めるシーンが差し込まれるだけ。

そして、突然映像が終わり、字幕の最後に

「心を込めて。デイヴィッドより / Warmest regards David c. Mitchell」

とデイヴィスから手紙の括りのようなメッセージが入るのですが、

そこから映画ラストに読まれている手紙はデイヴィス自身が自分に宛てたものだと受け取れます。

と、いうことは、クリス=デイヴィスなのではないか、という一つの答えに辿り着きました。

私は

デイヴィス=クリス(デイヴィスの少年時代)

カレン=デイヴィスが少年の頃の母親

であり、

この映画は感動の夫婦愛を見せるものではなく、

抑圧された1人の人間の感情が解放され、自分を取り戻すことがテーマだと感じました。

1人の人間が抑圧してきた自分を解放させる時、

確かに心の中ではこれくらい大きな変化が起こっているのかもしれないなあと、考えさせられる映画でした。


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こんにちは、心理カウンセラーのスズキチサです。

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