釣り堀
荒廃した釣堀の池の端に青い自販機があった。山あいの観光地の路地裏だった。池は濁っていて、魚はみえなかった。自販機の方に歩み寄ると廃墟のような受付小屋から「いらっしゃいませ」という女性の声が聞こえた。澄んだ声だった。受付の小窓のガラスは経年の傷と曇り、そして光の反射によって中の様子を隠していた。ただかろうじて、机のうえに重ねた両の手がかすかに見えた気がした。わたしは軽く会釈だけして、入り口すぐの自販機に向かった。
古びてところどころ錆びたり泥がついてはいたものの、陳列されたボトルのラベルは見覚えのある最近のものだった。左上の炭酸飲料のボタンを押すと、普段のそれと変わらない大きな音とともに缶が吐き出された。冷えた青い缶の表面についた水滴が、えらく清潔なものにみえた。
釣り銭口が汚れていたので、なでるように硬貨をひきよせた。最後の一枚の50円玉に手をやった際、とりそこねて弾いてしまい、池の方へと飛ばしてしまった。回転する硬貨の後をあわてて追ったが、あと一歩のところで無情にもそれは池の中へ落ちた。
落胆のうちに池を覗き込むと、50円玉はその表面に浮かび上がっていた。幸運な偶然に一瞬手を伸ばしかけたが、とどまった。わたしはそこで、手にした缶の冷たさが全身にまわるのを感じた。
わたしが池だと思っていたものは、コンクリートで固められた灰色の地面だった。水を抜かれてから蓋をされ、それからもう何年も経っているようにみえた。それでいて、落ち葉の類は皆無だった。灰色の水面に際立った50円玉の光沢が、受付の小窓のガラスを思い出させた。
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