沖縄について思い出すこと、思うこと
沖縄が日本に返還されて50周年の節目を迎えた今日。
前半は自分が沖縄にいた頃の楽しい思い出を、後半ちょっとシリアスな話を書きたいと思います。
新卒で入った会社で働きながら、渋谷本町で一人暮らしをし始めたのが2012年の11月中旬のこと。
西新宿にある会社から自転車で5分ぐらいの物件を借りて、初めて一人暮らしを謳歌しておりました。会社から近くて、無理をすれば新宿からも歩いて帰ってこれなくもない。近くのバス停から渋谷まではバスが出ていたからよく遊びにいっていました。
友達が来てくれて飲むこともありとても楽しい日々を過ごしていました。そんな中「会社から沖縄で働いてみない?」と打診が。当時から兄が沖縄で生活していたので「面白いかも」と感じていましたが、まだ家を借りたばかりでしたし少し迷っていました。色々ありましたが(この色々も退社の要因の一つになります。)、沖縄で働けることは「ラッキーかも」と捉えて沖縄へ。
最初の数週間は支社長の家に住まわせてもらって、その後はマンスリーマンションで一人暮らし。
那覇市の波の上ビーチの目の前でした。
波の上ビーチはやたらとおじさんたちが多くて憩いの場となっていました。タクシーの運転手の方が多かった気がします。
将棋やら囲碁やら指している人が目立ちました。後は猫が多い。おじさんが猫とお戯れになっている姿もなかなかの癒し系の光景でした。
マンスリーマンションの同じ並びには那覇市の人なら多くの人がご存知の「気まぐれポニーテール」(通称きまポ)がありました。
どこに住んでるの?と訊かれて「波の上ビーチのとこです」と答えると「あぁ、きまポのとこね!」と何度言われたことでしょう。笑
赴任中、兄に原付や車を借りながら観光でいろいろなところを回らせて頂きました。
首里城に行った時は沖縄に「来たなー!」と強く実感する瞬間でした。大きくて綺麗で威厳がある気がしました。
糸満の美々ビーチはとっても綺麗でした。
今見返しても夕日が綺麗です。
原付きではさすがに遠いので兄から車を借りて、友達が来るたびに行った美ら海水族館。
ジンベエザメと水槽の大きさには毎回驚きました。
沖縄で過ごした期間、色んな楽しい思い出があります。今でも会いに行きたい人たちが沢山いるんですよね。今年は沖縄に行きたい…!
沖縄支社の同僚の方々もすごく良くしてくださって、たくさん飲みに連れていって頂きました。
同僚には優しくて陽気でお酒に強い人が多かったです。オトーリには戸惑いました笑
口上ってなに?終わりがない?笑
全てが衝撃でした。
飲み会で先に帰る人が別れ際に「鈴木さん帰りましょうね」(帰りますね〜の意味)と言ってきてくれるのには違和感があったり、カチャーシーはうまく踊れないけど楽しかったりといろんな良い思い出があります。
ここまでが楽しいパートです。
ここからは少しシリアスな話になります。
糸満にある「ひめゆりの塔」に行ったり、沖縄戦跡国定公園にいったときは何とも言えない悲しい気持ちになりました。
戦争のあった歴史は沖縄の随所から感じられました。こんなに綺麗で優しい人たちが多いところだからこそギャップがとてもあります。
特にひめゆりの塔を見学した後は本当に悲しい気持ちになって誰かと話したくて仕方なかったです。友達に話しを聞いてもらおうと思いましたが日中だったりしたこともあって結局母に電話をし、「戦争は二度と起こしちゃいけないね」と気持ちを吐露したことを今でも覚えています。
当時24歳だった自分より若い方が戦争でたくさん亡くなられて、自決された方もいた事実は歴史の授業等で学んできていたつもりでしたが、やはり改めてその事実を知ると悲しいの言葉だけでは言い表せない気持ちになりました。
(誰かと行くことをおすすめします。1人でいかれることは個人的にあまりお勧めしません。)
あんなに悲しいことはもう二度と起きて欲しくないと今でも思います。
また、沖縄には基地も各所にあり、沖縄県内を移動していると広大な基地がいくつもあります。
有名なものだと普天間飛行場、嘉手納飛行場、キャンプシュワブ、キャンプハンセンなどがあります。
沖縄県内には31の米軍施設があり、沖縄本島では約15%ほどが米軍基地で、これは日本の国土の0.6%の沖縄に、在日米軍の70%が集中していることになるそうです。
これはすごい数字ですよね。
アメリカとの関係についてもいろいろ考えさせて頂きました。
沖縄文化にはアメリカの影響も勿論ありますし、琉球王国時代の文化や中国、台湾、東南アジアの影響もあります。
色んな文化がチャンプルーになっているのも沖縄に文化のいいところで今があると思います。
なのでアメリカの文化だけを除く訳にもいきませんし、基地があることで生活が成り立つ人やお金が入ってくる人もいる一方で、事故や事件、航空機の離発着に生活を脅かされたり、米兵からの被害を受ける方がいたり…
安全保障の問題も経済も複雑に絡んでいる一筋縄ではいかない問題を多く抱えているのでなかなか解決の糸口が見つかりません。
もし、日本から在日米軍が全て撤退したとしたら不安や恐怖から解放される方もいる一方で、基地周辺の方は職を失う人も多いでしょうし、売上が激減する人もいると思います。
近隣諸国の中で日本に侵攻する国がないとも言えません。かと言って沖縄県と沖縄に住む皆さんに負担をかけ続けて良いものか…
似たような文章を書いてしまうほど頭の中でグルグルと考えてしまいます。
また、別の話になりますが沖縄は子供の貧困率も全国ワースト1位だったり、最低賃金も全国で1番低かったり、ワーキングプア率も全国ワースト一位だったりと経済的に苦しんでいる人も多くいます。
沖縄に住む義理の姉は交通事故を貰ってしまったのですが、相手が任意保険に入れていなかったため十分な補償をしてもらえず、ほぼ泣き寝入りすることになったことがあります。
車が移動に欠かせないのにも関わらず経済的事情から任意保険にも入れない。
それぐらい沖縄の貧困率は高いです。
いろいろな課題がある沖縄県。他にもたくさん「沖縄の闇」と言われる課題、問題はあるのですが同じ日本に住む国民として、私たちは何ができるでしょうか。
よく言われることですが、まずは知ることから始まるというのは一理あると思います。
今日は沖縄が日本に返還されて50周年の節目の日。記念すべき日ではありますが、皆で考えていくべき問題が山積している中で迎えた節目となりました。
「沖縄大好き」という人も多いと思います。
沖縄を「観光地として」好き、というのも勿論素敵なことです。
歴史を知った上で、悲しみを理解した上でもっと沖縄を好きになっていくというのもまた、素敵なことだと思います。
さらに深くしっていくことでさらに沖縄を好きになることに繋がるのではないでしょうか。
自分もまだまだ途上です。
(どのように沖縄に対して関わっていくのかは、もちろん人それぞれの自由です。
とやかく自分が言える立場でもありませんし、権利もありませんし、言うつもりもありません。)
NHKの連続テレビ小説も沖縄が舞台の「ちむどんどん」ですし、今年は沖縄が盛り上がりそうですね!
2022年がたくさんの人が沖縄についての理解を深めるきっかけになるとともに、さらに好きになる素敵な年になるといいなと心から思います。
沖縄に住む皆さんの幸せを願って。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
サポートしていただけたら、実験用具を買うか、実験用の薬品を買うかまだ決めていませんが、生徒さんたちと授業のために使いたいと考えています。