#100 面白半分日記09 教師は自己陶酔し学生は「わかったつもり」になる 認知バイアス製造機
100作目の駄文となる。
チンパンジーの割に頑張っていると思う。
記念すべき100本目は「面白半分」ではなく真面目に書こうと思う。
◆武器を使いこなせているだろうか?
MS の PowerPoint や Apple の Keynote、Google Slides などのプレゼンソフトはそこそこに互換性もあり非常に便利なツールだ。
ビジネスパーソンにとっては、社内(同僚・上司)や取引先・得意先に提案したり説得する重要な武器となっている。
教職専攻の学生たちには
「わかってもらうは武器になる」
と、常々伝えている。
しかし、教育の場面におけるプレゼンソフトの活用実態は
「なんか、ちょっと違うな・・・・」
という心に引っかかるものがある。
突き詰めれば、教師の力量という話になる。
私自身、ビジネスのことを教える高校教師の頃から情報系の科目で「よいプレゼンスライドの作り方」を講義してきた。
よく考えてみると、これはあくまでもプレゼンター側にとって都合のよいツールなだけであって、教育現場においては見る側(学生・生徒)にとって効果があるかどうかは疑わしいと思うようになった。
工夫に一考の余地あり。
教師が授業で解説する内容は、教師には「わかりきっていること」だ。
毎年毎年同じ内容を黒板にハンドアウトし、慣れてしまうと「これくらいはわかるだろう」と思い、面倒くささも手伝って、つい省略してしまうことがある。
パワポがあれば、授業でハンドアウトする時間を節約できる。
文字も綺麗だ。
加除修正も簡単だから、年度が変わって最新キーワードや理論を追記・更新していけばよい。
教科書や資料の参照指示として「50ページの3行目の項目①を見てください」も、スライド1枚で完結できる。
キーワードや図表をテンポよく示しインパクトを与えられる。
フォントサイズや色覚障害にも配慮したユニバーサルカラーなども用いつつ、アニメーションに工夫を凝らせば見栄えもいいし演出効果は抜群だ。
「センセー、素敵!」
「さすが先生の授業は違う!」
と、日頃は私のことをチンパンジーだと思っている学生だって少しは尊敬の念を抱くかもしれない。
「もしかして、このセンセー、人間?」と思われるようになれば、こっちの思うつぼだ。
余計な時間やノイズをカットし効率よく濃密な授業ができるぞ!
It's great!
・・・・ほんとうか?
一般的に言われている「よいスライド」とは長文をダラダラ書かないことだ。
1スライド1メッセージの法則に従うこと。
Keep it short and simpleと呼ばれる
「kissの法則」だ。
ヒトの脳の認知力から考えてもそれが最も効果があるとされている。
ただし、私のようなチンパンジーは除外される。
20年前から数年前までの私がやっていた研究会や研修・講演で提示していた解説文だらけのスライドやアニメーション効果の多様は、最前線の活用法に従えばアウトということになるだろう。
1スライドに1センテンスあたり100字以上を書くと聞き手は読むことに集中してしまう。
読んでいる最中に画面が切り替わろうものなら、それで思考は中断される。
最悪、読む気が失せてしまい、心ここにあらずという聞き手も発生する。
聞き手が私のようなチンパンジーなら、オープニングから飽きてしまい多動傾向を発揮し注意されるのがオチだ。
話し手は何時間もかけて作ったスライドの出来映えのよさに自己陶酔し、聞き手(学生)は見た目の良さやインパクトの強さに「わかったつもり」になる。
これがプレゼンソフトの「認知バイアス製造機」たるゆえんだ。
もちろ、プレゼンソフトの活用にまったく意義も効用もないと考えているわけではない。
案外、肝心要の重要なところは身の内側に刻み込まれていない。
パワポ活用の長短を見極め、不足する部分をどうカバーすればよいか考えなければいけない。
話し手(教師)の話術が生命線になることもあるが、一般的には見た目で8割が決まると言われている。
相当に巧妙な展開方法を考えなければ、授業の目的・目標とスライド内容が結びつくことなく、概念や概要を大雑把に理解できるだけで、細目は刻み込まれないという不幸な授業になりかねない。
結びめをしっかりとしておかないと紐はほどけ、意識も知識も断片化さてしまう。
話に集中するとノートを取らない(取れない)という学生は驚くほど多い。
いくら私が
「よいノートづくりが学びを制する!」
と冷静に訴えても、学生には「ウッキーッキ~!」というモンキーの叫び声にしか聞こえていないかもしれないのだ。
小中高校時代にそういうところにポイントを置いた学習経験と習慣が身に付いていなければ空言となってしまう。
チンパンジーの言うことは戯れ言やノイズでしかなくなる。
ノート上手な学生は要領よくメモを取る。
後から見返して学習と思考の過程をトレースできる書き方をしている。
気の利かない学生はスライドを眺めて「わかったつもり」になって満足して終わる。
なかにはプリントの空白部分にわずかなメモを取る学生もいるが、後から見返しても「これなんだっけ?」と思い出せないようでは意味がない。
午前の授業も午後には水泡と帰す。
よくある話だ。
一般的な黒板やホワイトボードによるハンドアウト主体の授業であっても、ノートづくりが出来ない学生が多いのだから、大学1年生のうちにどういう習慣を身に付けさせるかを考える必要があると感じている。
おそらく小学校の先生が最も板書に気遣い、ノート作りの手ほどきも徹底しているはずだ。
年齢が上にいけばいくほど、そうしたことは「できて当たり前」という思い込みや自己責任論で片付けられていくのかもしれない。
パワポを使うなら、教師の自己満足や便利な道具として使うのではなく、巧妙な仕掛けづくりが必要だ。
私は90分間の講義で用いる際には、その倍の時間をかけて作るようにしている。
大学に勤めて2年半なので、ほとんどの授業を空白スライドから作り始めることはないが、科目特性や学生の実態に応じて作り込み方を変えたりもしている。
アナログな黒板やホワイトボードへのアウトプットのほうが効果を発揮する場合もある。
私はこれを
「パワフルポイント」
と呼んでいる。
「目的と目標の実現」を本気で考えれば考えるほど、教材の作り込み方、仕掛け作りと授業展開には時間がかかると実感している。
教師の使命は、そこを厭わずに取り組むことだと考えている。
「わかってもらうは武器になる」と述べたが、非武装とか丸腰で勝負することもある。
それはワークショップのような瞬発力が必要なときだ。
コロナ禍をきっかけにしてITツール活用型の授業が積極的に導入されたことは喜ばしいが、その光と陰を十分理解したうえで用いたいものだ。
これもまた、教職志望の学生と一緒に考えていきたい。