日記2月9日
朝方4時半くらいに会社からのLINEで目が覚める。
事務所から急に電話が入り、15年ぶりくらいに向かう仕事場。
見知った風景と思って油断していたらすっかり変わってしまっていて
ここがどこだかすらわからない。新宿の京王デパートのはずなんだけど。
半泣きでうろうろしてたら二人の昔の仲間に会い、場所を教えてもらう。
一人の方は仕事をあまりしなくなってからも時折顔を合わせていたのだが
もう一人は10年以上ぶりで、姿は変わってないのに影がうすく、とても寂しそうな顔をしている。
どうしたのかな?と気になったけど、ずいぶん年月がたったから少し容貌が
変わってしまったのかもしれない、と急いでいることもあって話したげな彼女を後ろに仕事場に急ぐ、思ったより遅れなかった。
そんな夢の中瞬間に目が覚めてしまい、夢とうつつが混ざった現実で、
そういえば彼女ずいぶん会ってない、連絡先は・・と脳の中を検索し始めた途端、彼女は亡くなっていたことに気づいていきなり感情が吹き出す。
大好きだった仕事を頭が変になって衝動的にやめてしまい、何をやってもうまくいかなくなった(信じられないことだがこの仕事をやっている間、音楽以外は何をやっても割とうまくいっていたのだ)。みじめな姿を誰にも知られたくなくて、彼女からの電話を無視してしまっていた。
少しおちついた頃、彼女の携帯にかけてみたが、繋がらない。
電話を変えたのかな、まぁ誰か知ってるかなとそのままになってしまった。
数年後私は火事に遭い、そのニュースを見た誰かが伝えてくれたのだろう。
またしばらく以前の仕事に復帰することになった。
まとまった仕事の最終日に久しぶりに事務所に挨拶に行った。
彼女の連絡先をたずねたところ、数年前に病気で亡くなっていると告げられた。
未だにどこか信じられないし、電話を取っていたら何か手助けができたのではないかと未だに苦しい思いを抱えている。
夢の中の彼女の表情が翳っていたのも気になり、夢から完全に抜けられにまま、過呼吸のようになってしまい、頭は失敗してしまいった自分の生のこと、後悔しかないこと、まだ始まっている実感すらないことでぐるぐる回り続ける。
まとわりついた恐怖を払いのけるため、朝の5時、無理やり体を起こし、コーヒーを淹れパンケーキを焼いて食べる。
なんだか妙に味がしなくて、コロナかもしれないと不安もつのる。
会社からのメッセージは社長がコロナみなし感染で来週まで休業するという知らせだった。
遅延している給料もこのまま出ず、私はコロナ感染しても治療費もないので
とにかくひたすら動かないようにしようとまたベッドに横たわる。
睡眠時間も短いし、なんとか少し眠ろうとしたけれど急に起こった激しい胃痛と過呼吸で眠れない。
一人でいるのがとてもつらい。しかし私には誰もいない。
どうしてこんな人生になってしまったんだろう。体は動きたいと思っているのに私は死にたい。気持ちが猛烈に分裂してしまって、ひたすらまるまって呼吸に意識を向ける、ってかそれしかできない。
しばらく混濁していく意識の中に没入していたら、部屋に朝日が差し始め、
気づいたら症状は消えていて、お風呂に入ったり身支度をしたりなんとか自分を少し整える。
今日から休業とはいえ、私には期限が切られている仕事が残っており、延期するか着手して終わらせるか段取りを組んで連絡しなくてはならないし、郵便物を発送しなくてはならないのでパソコンを立ち上げメールチェックやスケジュール確認、会社に今日のタスクはなるべくやる方針であることなどのメールを送る。
返事がないまま、とりあえず計画を立て、クライアントではない存在にクライアントであるかのようなメッセージを送り、なぜだかクライアントからのような注文を受け、おいおいこれ全部今無給状態でやっているんだよと思いつつ無感情でこなす。
郵便局に行くために外出したら、外はゆらゆら揺れている。
不用品をメルカリで販売して(給与の足しにせよ?)との業務命令に即し昨日売れたものを発送する。
帰りにコンビニに寄り、一番安い弁当を買う。とにかく何か食べないとそれも悪いものが食べたいという体の欲求にしたがう。
帰宅後貪るように弁当を食べたあと、給与遅配の件で法テラスに電話。
無料電話相談を受け付ける、労働問題に詳しい弁護士事務所を紹介してもらい、電話する。
一気に実情を説明し、目的は給与だけで会社を潰したり転職したり(したいが)給与以上の金を求めることではない、しかし確実に一番早く給与分の金額を手にする方法を案内してほしい、と求めたら、いくつか方法を提示してくれてそのタイムスケジュールについてもいくつかの可能性を教えてもらう。
今まで暗闇の中を手探りで歩く感じだったのが、地図を手に入れたような気持ちになり、だいぶ気持ちが落ち着いた。
スタート地点に至るまでに用意するもの、どこにいけばいいか、念のためにどこに連絡しておくべきかなど知っているだけでもこんなに気持ちが変わるのだ。
いろいろなタイプのハラスメントや問題に遭っている人がいたら、話すだけでも整理されていくし、この時勢だと電話でもそうとう話を聞いてくれるのでなるべく早く相談することをおすすめするという勉強ができてよかった。
ほっとしたらまたお腹が空いたので、近所のマイバスにて冷凍食品やインスタントラーメンを買い込み、試して放置していたジャンクな調味料をぶちこみスープを作り、ネギとキャベツと冷凍餃子を入れて食べる。
とてもおいしかったし満足した。いつも私は料理が上手なのだ。しかし困ったことに料理は大嫌いである。
洗い物は放置したまま休業中の会社にとりあえず段取りはつけたから緊急時以外は私も仕事をしないことを告げる。しかしそのメッセージを送った直後に緊急事態が発生し、急遽パソコンの前で仕事再開。なんとか目処をつけライブの練習に向かう。
横浜のカラオケボックスは高校生でいっぱいで、みんな大騒ぎしている。
あたりまえだマスクを外せるのは歌う時くらいだもんね。一人で来ている人も多く、高校生時代の自分も通ってしまうだろうな、とこの環境が羨ましくもある。
2時間ほど熱心に練習し、明日は1日練習に費やすぞーと決意した途端またメッセージ。エクセルの操作がうまくできないから代行して欲しいという依頼だ。
給料出てれば仕事だからよろこんで!なのだがなぜ人の芸術に命をかけなくてはならなくて(そんな要求)、自分のことはいつもないがしろになるのか腹立たしくなる。担当している仕事は素晴らしい作品ではあるのだが、実はそれほど興味がない。
そんなの魂の嘘ではないか、という意見もあるだろうが、それほど興味ないというのは実は大切なのだということも仕事をしてわかった。
それほど興味が持てないものを多分それほど興味ない人にアプローチしていくにはどんな見せ方をすればいいのかというアイデアが、とても興味があり、心から人に伝えたいと思うものを紹介する時に浮かぶアイデアより格段に優れているように自分には感じる。つまり作品よりアイデアに重心がかかり、それほど興味ない自分でもこんな見方をすればなんとなく面白く感じるよーと衒いなく人に伝えることができるのだ。
こういう発見があるから仕事は楽しいのだが、今は給料が出ていないので
また胃に黒いブツが溜まり始める。
カラオケボックスを出たらマックがあって衝動的にバーガーとポテトとコーヒーのセットをテイクアウト。ポテトの大きなサイズは完食できたことがないが帰宅後一気に食べてしまう。満足ではあるが過食症だよこれじゃ。
明日の支払いをしたら手持ちは少なく、また明日は歯科治療にお金がかかるということを先週告げられている。
絶望的な気持ちの中、自分の気持ちを少し明るく持っていけるのはドライブ・マイ・カーのアカデミー賞ノミネートのニュース。
とにかく音楽がすばらしいし、何もかも許せる気持ちになる映画である。
まるでビタミン剤を呷るように脳内再生してフラットな自分を見出せる映画であり、同時代にこのような作品が生まれたことに感謝しかない。
スマホで少しニュースを追う。ついでにバレエの動画を観たり、新曲を整理したりして今に至る。
明日は給料出ますように。
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