40歳の目標
この話をするのはちょっと気恥ずかしいのですが、いま10代や20代の人が読んだらなにかの参考になるかもしれないので、書いておこうと思います。40歳の私から、まだ見ぬあなたに贈る言葉。
これは私が20代前半だった頃のことです。その年、私は卒業論文以外のすべての単位を取得した状態で1年留年し、三重県で漁師の見習いをしていました。(唐突すぎてハア?っと思った人はこちらの記事でも読んでください)そして、大学卒業後にどうするか、考えていた時期でした。
友人と数名で飲んでいた時に、一人がこんなことを言いました。
「社会人として一番脂が乗っているのは40代だと思う。だから、自分は40歳に向けてなにをするかを考えてみた。自分にはやってみたいことが4つある。政治関係の仕事、研究、教育活動、そして思いっきりお金を稼ぐことだ。どれが一番自分に向いているのかは分からない。だから、40歳になるまでに、それら4つをすべてやって、40歳になったらそのなかで一番面白かったことをやるつもりだ」
私はそんなことを考えたこともなかったのでとてもびっくりしました。
でも、その話を聞いて、自分でも40歳の目標を立ててみようと思いました。
そして、こんな目標を立てました。
「40歳になったときに、海と魚については、鈴木に聞けばだいたいのことは分かる、というレベルになる」と。
そして、そんな自分の姿を思い描きました。
ぼくにとって「海と魚については鈴木に聞けばだいたいのことは分かる」という意味は、たんに頭で分かっているということではなくて、さまざまな経験を積んでいるということでした。「海と魚」にまつわるいろいろなことについて、いろいろな立場で自分の身体で体験し、自分なりの視点で語れること。そういうふうに思いました。
大学を卒業したあとの進路として、元々考えていたマスコミを受けるという選択肢をやめ、大学院に進学するという選択肢もやめ、築地の水産会社に入ることにしたのは、自分でいろいろ経験して、自分の言葉で「海と魚」を語れるようになりたかったからです。
その後、築地でセリ人を8年間やり、大学院に進学し、国際NGOのスタッフとして国内外の漁業現場を訪問し、2019年、38歳のときに独立しました。
39歳になったときに、「40歳の目標」を思い返して、「海と魚については鈴木に聞けばだいたいのことは分かる」という目標はまあまあ実現したのではないかと思いました。分からないこともたくさんありますが、誰に聞けば分かるか、分かるようになっていました。
そういうわけで、40歳になったときに、「自分の好奇心で行動するのはもうおしまいにして、これからは自分が知っていることを周りの人たちや子どもたちに伝えていこう」と思いました。「おさかな小学校」をはじめることにしたのは、そんな経緯もあったのです。
振り返ってみると、人生の要所要所で、大事な一言を言ってくれる友人がいて、その一言に支えられてきました。とても感謝しています。あなたにもそんな友人がいて、ぼくの言葉は必要ないかもしれませんが、もしかしたら今この言葉を必要としている人がいるかもしれないと思って、この文章を書きました。
「あなたの40歳の目標はなんですか?」