MSC漁業認証規格案にパブコメを書く
はじめに
海のエコラベルで知られるMSC(Marine Stewardship Council)が漁業認証規格の改訂作業を行っている。科学は日々進歩しているし、漁業を取り巻く社会情勢も日々変化しているので、MSCでは5年に1回規格を改訂することにしている。そして、2月1日に新しい規格の草案が公開されたのだ。
規格改訂の概要をこまごま書くことはこの文章の目的ではない。が、改訂ポイントの一つである「ETP種(絶滅危惧種・保護種)」の定義の変更が、MSC認証を目指す日本の漁業に大きな影響を与えそうなので、問題提起しておく。
文章の最後には、MSCへのパブリックコメント案を書いておきます。もしも一緒にパブコメを出してくれる人がいたらうれしいな。
Kobe plot
本題に入る前に、水産資源学に係る人にとって常識中の常識であるKobe plotについて簡単に説明しておく。Kobeとは「神戸」である。海外の研究者のなかには、Kobeが日本の都市の名前だと知らない人もいるかもしれないが、2007年に神戸国際会議場で開催された第1回マグロRFMO合同会合に由来している。
「神戸プロット」は便利な図だ。横軸が資源量、縦軸が漁獲圧を示しており、過去と現在の資源量と漁獲圧を点と線で示すことによって、その水産資源の状態が良いのか悪いのか、改善しているのか悪化しているのかが一目で分かるようになっている。
こちらが、神戸プロットの一例だ。
横軸が資源量で、右に行くほど資源量が豊富となる。中央の縦線が適切な資源量(最大持続可能漁獲量MSYを実現する資源量)を示しており、それより右であれば資源は豊富ということになる。
縦軸は漁獲圧で、上に行くほど漁獲圧が高くなる。中央の横線は適切な漁獲圧(最大持続可能漁獲量MSYを実現する漁獲圧)を示しており、それより上にあるときは「獲りすぎ」の状態にある。
一般的に、資源が減っているときは、漁獲圧も下げなければならない。資源が減っているときに漁獲圧をあげると、資源はさらに減り、最後には枯渇してしまうからだ。ということで、左上の赤い部分は、資源が減っているのに漁獲圧が高い、最悪の状態だ。一方、右下は資源が豊富で漁獲もあまりされていない、水産資源にやさしい状態である。
例えばこちらは北太平洋のビンナガ資源。資源が豊富で漁獲圧も低いことが一目でわかる。
一方、こちらはスケトウダラ北海道日本海系群。長年獲りすぎの状態が続いていたため、資源が減り続けてきた。ほぼ枯渇したところで協力な漁獲規制を行い、ようやく資源量が少し増加に転じている。
これが神戸プロットだ。だいたい理解いただけただろうか?
MSC漁業認証規格 改訂
ようやく本題に入る。
冒頭に書いたように、いま、MSCが漁業認証の規格改訂を行っている。2月1日に草案が公開され、60日間のパブリックコメント期間の真っ最中だ。
改訂のポイントはいろいろあって評価できる部分ももちろんあるのだが、「ETP種(絶滅危惧種・保護種)」の定義の変更はちょっとまずい。
いままで「科学に基づいた客観的な規格」と言ってきたMSCの信頼性にも関わるし、多様な食文化を認めず西洋の価値観を押し付けようとする勢力の圧力を感じるし、そして持続可能な漁業をめざして取り組んできた国内の漁業者たちの努力を無にするものだ。
下の図は、今回の規格改訂で大きな影響を受ける、ある水産資源の神戸プロットで、右と左は同じ水産資源を2つの方法で評価したものだ。左右で若干の違いはあるものの、だいたいのシナリオは同じだ。1970年頃は資源が豊富だったが、1990年頃に漁獲圧が高まって資源も減少し、その後漁獲圧が下がったことで資源は回復し、いまは健全な状態にある。
資源量は、MSYを達成するレベルを上回っており、これだけを見れば十分にMSC認証を取得できるレベルにある。
ところが、この水産資源を漁獲対象としている漁業は、MSC認証を取得することができない。それどころか、審査に入ることすらできないのだ。
なぜか?
それは、この水産資源が、「サメ」の1種であるヨシキリザメだからだ。
正確には、この神戸プロットは、ヨシキリザメ太平洋系群の資源状態をあらわしている。
ETP種(絶滅危惧種・保護種)の定義の変更
MSCの審査では、漁獲される種、混獲される種、リリースされる種、エサとして利用される種、その海域に生息する絶滅危惧種などのリストを作成し、どの生物がどの審査カテゴリーに入るかを決めなければならない。
ETP種は、海洋生物を絶滅から守るため、通常の混獲種よりも厳しい評価基準を用いて審査を行う。なので、なにをもってETP種とするかという定義がとても重要だ。
現在の漁業認証規格2.0版では、ETP種は、以下のような定義をされている。
SA3.1.5.1 ETPに関する国の法令で指定されている種。
SA3.1.5.2 以下の拘束力のある国際合意によって指定されている種。
a. CITES(ワシントン条約)の附属文書1。
b. CMS(ボン条約)による拘束力のある協定
SA3.1.5.3 MSC認証対象外の生物(哺乳類、鳥類、両生類、爬虫類)のうち、IUCNレッドリストにおいて絶滅危惧II類(VU)もしくは 絶滅危惧IB類(EN)、絶滅危惧IA類に分類されている種(CR)
ほとんどの読者にとっては、「なんのこっちゃ」だと思うが、MSC認証の規格はすべてこのように細かく定義されている。
で、これが、3.0版だと次のように変更される(と提案されている)。
ちなみに、第3.0版では、「ETP種」というくくりはなくなり、「ETP/OOS種」となる。OOSとは、Out of scopeの頭文字で、MSCの審査対象外である哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類を示す。
SA3.1.7 a. 漁業によって影響を受ける哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類
b. 漁業によって影響を受ける魚介類のうち、以下に含まれる種
i. CITES(ワシントン条約)の付属書1
ii. CITESの付属書2
iii. CMS(ボン条約)の付属書1と2
iv. IUCNレッドリストにて絶滅危惧種IA類(CR)
v. IUCNレッドリストにて絶滅危惧種IB類(EN)
vi. 国内のETP法令のリスト
規格文書にはもう少し細かい補足があるがここでは省略する。
CMS(ボン条約)はあまり聞きなれない条約だが、「移動性野生動物種の保全に関する条約」という。日本は批准していない。アメリカ、カナダ、ロシア、インドネシアなど、大きな排他的経済水域(EEZ)をもち、漁業がさかんな国々が加盟していない。下の図のように、ボン条約加盟国のEEZは、海洋面積の約20%にすぎない。
そして、このボン条約の付属書2に、なぜかヨシキリザメが入っているのだ。ヨシキリザメは太平洋、インド洋、大西洋の3つの「系群」とよばれる群れ単位で資源評価され、管理されている。資源の状態は系群ごとに異なり、上述のとおり、太平洋のヨシキリザメは資源が豊富で漁獲圧も低い、とても健全な状態にある。にもかかわらず、ボン条約の付属書には「ヨシキリザメ」として3つの系群をひとまとめにして雑に放り込まれているのだ。
このように、ボン条約の付属書に掲載されているかどうかは、水産物の持続可能性を評価するうえでは、よい判断材料にはならないはずだ。
しかし、MSCのステークホルダーが多いヨーロッパの国々では、環境保護団体の力が強く、漁業や、水産物を取り扱う小売業などに常に圧力をかけている。環境保護団体にもいろいろあるが、水産物の持続可能な利用ではなく、「海を手つかずのまま残すこと」が目的の人々もおり、そうした人々は漁業がなくなってもよい、むしろなくなればよいと思っている。その点が、持続可能な漁業は可能だと考えている私とはそもそも違っている。「サメ」は環境保護団体にとってホットな話題だ。彼らにとって、付属書にいろいろなサメを掲載しているボン条約は都合がよいので、漁業認証規格に組み込むようMSCに圧力をかけているのだと思う。今回のMSCによる漁業認証規格の改訂案は、そのような圧力の結果なのだ。
MSCは環境NGOによるサメ保護運動に屈するのか?
MSCは世界のどんな漁業も審査できる国際規格であることを売りにしている。世界にはさまざまな漁業があり、さまざまな文化があり、さまざまな価値観がある。ある人々にとって正義でも、他の人々にとっては不正義であるかもしれない。このような状況でも持続可能か否かという明確な線を引くために、MSCは科学を重視してきた。
科学的な証拠に基づけば、神戸プロットが示すように、太平洋のヨシキリザメ資源は豊富にあり、水産資源として健全性を保っている。
サメは世界に500種類いて、多様である。たしかに個体数が減っている魚種もいるが、保護すべきサメは保護しつつ、豊富にいるサメは持続可能な形で利用するのがのぞましい、と考える。
持続可能な漁業の認証制度であるMSCも、もともと「種による差別はしない」と言ってきた。だからこそ、今回の漁業認証規格案にはびっくりである。「科学による客観性」を捨て、文化の多様性を認めることをやめたら、国際的な認証として信頼性を失うことにつながるのではないだろうか?
…ということで、パブリックコメント案を書いてみた。パブコメは4月3日までなので、こうやって情報公開しつつ、みなさまから意見をいただきつつ、この偏った漁業認証規格が通らないよう、ちゃんと意見を伝えるぞ!エイエイオー!
◆MSCへのパブリックコメント案◆
親愛なるMSCのみなさま
豊かな海とおいしい魚を未来に残すという志を持つ者として、私は、貴団体の活動をいつも応援しています。持続可能な漁業でとれた水産物にエコラベルをつけて流通させることで、消費者の力で漁業を持続可能なものに転換しようという理想に、私はとても共感しています。
しかし、今回の漁業認証規格の改訂案を読んで、私はとても失望しています。今回の規格改訂は、MSCの信頼性を保ってきた「科学による客観性」よりも、動物保護団体による感情論に立脚しているように思います。
世界にサメは約500種類おり、生態もさまざまです。日本では伝統的にサメ肉を食用として利用してきました。現在、希少性の高いサメ類は保護されており、資源が豊富な種を漁獲対象とするようにしています。それにもかかわらず、サメだけを一律にMSC認証から排除しようとする規格案は、私たちの伝統文化を否定するものだと思いますし、世界の食文化の多様性を否定するものだと思います。持続可能な漁業の国際的な規格としてはふさわしくありません。
ボン条約は133か国が加盟していますが、アメリカ、カナダ、中国、インドネシア、日本などの漁業国は加盟していません。ヨシキリザメをはじめ、漁獲対象となっている種に関しては、地域漁業管理機関(RFMO)によって系群ごとに資源管理されています。MSCが「持続可能な漁業」の認証である限りは、RFMOによる管理を優先させ、RFMOによって管理されていない種についてボン条約やワシントン条約を参照にするのがあるべき姿かと思います。
いまいちど、「持続可能な漁業の国際認証」という立ち位置にもどり、感情論に基づいて個別の種を保護しようとするのではなく、科学に基づいた持続可能性の評価ができるような漁業認証規格となることを強くのぞみます。
(以上、2022年3月9日時点のパブコメ案です)