やんばるをおとずれて
沖縄は山原(やんばる)に行ってきました。目的は大きくふたつ。
①縁もゆかりもなく、さらに高齢化率の高い地域に入り込み、信頼を得て、一方通行でない関係を築くことの追体験
②これから京都に根を張っていくなかで、こちらから関わりたい、こちらに関わって欲しいと願う人たちと、人としての信頼関係を築くために
とても意味深いものになったので、ひとつずつ記録していきます。
①「役割と居場所。この地域のために私は何ができるんだろう」
沖縄県北部にある人口200人弱の集落、与那の大城区長から、集落の昔と今を聞く。緑豊かな四方の山々も、かつては一面がイモ畑だった。生きていくために、住民みな鍬ひとつで、山を拓いていった。今でも誇りに思う連帯の証だ。
けれど、人口は少しずつ減り、去年は地域の草刈りも全部はやりきれなかった。初めてのことだった。コロナで集落の祭りもできなかった。おじいおばあには「また再開するときは手伝ってね」と声をかけ続けたが「もう自分には何もできない」とあきらめの言葉が返ってきた。そして、沖縄の集落にはほぼ必ずある共同売店も赤字が続き、このままでは立ち行かなくなる。
言葉に詰まる区長。この地への想いが溢れる。
しばしの沈黙のあとに、集落を回り、与那の価値に触れる。受け継がれる文化、美味しく健康的な山野草を味わう。吸い込まれるような星空(今回は拝めなかったが)。何より、この地域を愛する人たちこそが、価値として存在する。ありがたいことに、今後も集落のために関わり続けてほしいと声をかけて頂く。
五感にも、感情にも響くこの体験は、幸運や偶然によってではなく。
次はそのことについて。