二郎について語るときに我々の語ること
諸般の事情でラーメン二郎好きの方の集まりに混ぜてもらったんです。
で思ったんですが、二郎ってコピーノイズを楽しむエンタテインメントなんですね。
カテゴリーは違いますがスマホゲームをはじめとするデジタルコンテンツは、複製と流通のコストがどんどんゼロに近づいていく特性があって、手軽に誰でもいつでもどこでも、オリジナル(要はクローン)を楽しむことが出来る。
二郎はフランチャイズですらないので、のれん分けというアナログ手法で増殖していて、お店ごとにコピーノイズが激しい。かつ、お店に行って並ばないと楽しめない。挙句、完食するための体力とか、脂およびニンニク耐性とか、食べ残しについての倫理感とか、人を選ぶんです。今や、かなりの店舗数になった二郎のお店を色々まわって、それぞれのコピーノイズに精通するのがジロリアンの楽しみだと思うんですが、お遍路さん以上に知力体力時の運が必要なチャレンジだと思います。
味については、一般的な文芸評論の用語を使うとコピーノイズじゃなくて、それぞれの「解釈」ってことなんでしょう。大袈裟にいうとクラッシックで同じ曲を同じオーケストラが演奏しても指揮者によって演奏が違うみたいな…
その集まりの”課題店”としてみんなで新橋店に行ったんですが、二郎独特の麺の臭さがほとんどなくて、食べやすかった。詳しい方によると、「新橋店は池袋系だから麺が(ちょっと)上品」らしい。あと、生卵もしくは刻み海苔入り生卵をオーダーして、すき焼き風に麺/野菜/ブタを楽しむという珍しい趣向もあって美味しかったです。解釈とコピーノイズと伝承と創意工夫の世界ですね。またもや大袈裟にいうと、歌舞伎で七之助の舞台をみると、芝翫に習ったのがわかるみたいな。
ということで今回二郎新橋店でほぼ4年ぶりに二郎食べて、色々思うところもあり大変美味しく、またこの先4年くらい食べなくてもいいくらいの満足感。ダイオウグソクムシの気持ちがちょっとわかりましたけれども。