衝撃のラスト!の意味 『TAR/ター』
【あらすじ】
多才で輝かしい経歴を持つリディア・ターはベルリン・フィルの首席指揮者に任命される。パトロンのご機嫌取り、業界の重鎮のご機嫌取り、マーラーの交響曲第5番のライブ録音のリハーサル、新曲の創作、オーケストラの人事… さまざまな重圧や課題をこなしていく日々に少しずつ異変がおこる。そして、以前ターの指導を受けた若手女性指揮者の訃報を境に状況が一変してしまう…
…てなお話。
相変わらずケイト・ブランシェットの演技は凄くて、撮影も寄るべきところは寄って、指揮の場面の動きをみせるべきところはダイナミックかつ綺麗にみせてまいす。
それだけなら当たり前の撮影なんですが、巧みだなと思ったのは、何度もでてくる彼女がポルシェを運転するシーン。フロントからは一度も映していません。
生き急いでいるかのように研鑽を続けて多彩+多才で華やかな経歴を積み重ねてきたベルリンフィルの首席指揮者なので、ポルシェはキャラクターを考えたらぴったり。ただ、アイコニックなデザインのクルマを正面から映すとデザインの印象が勝ってしまって、”この人はポルシェに乗るような人です”という説明するだけの陳腐なショットになってしまいます。代わりに走行中のポルシェの美しいリアのデザインを繰り返し見せて、彼女が常人には全く追いつけない境地にいる、というのを効果的に表現していました。
3時間近い映画ですが、凄い演技とこんな感じの巧みな演出と、ちりばめられる小出しの怪異で引き込まれます。さらにクラッシック業界の現実の闇をN響アワーの指揮者紹介映像みたいに、ごくライトに描いていく。
クラッシック業界の長年の体質として、マエストロと呼ばれる立場になった男性はセクシャルハラスメントその他、やりたい放題をやり続けることが見過ごされてきました。それがハリウッド他の#Metoo運動の盛り上がりのなかで明らかになりはじめた。指揮者シャルル・デュトワに対する2017年の告発はこんなものです。
デュトワのセクハラは1980年代にまで遡り、彼の名前は映画の台詞にも登場します。あと指揮者としてはNYメトロポリタン歌劇場のジェームズ・レヴァインも告発を受けて解雇されています。また、三大テノールのひとりプラシド・ドミンゴも告発され謝罪声明をだしています。
この映画もともとは男性指揮者を主人公にした脚本だったとのこと。ただ、やりたい放題やった男の転落を描くだけだと、ただの勧善懲悪です。それをやりたい放題の”マエストロ”の立場に女性指揮者を据えて描いたのがこの映画の凄いところ。
ターは男性指揮者よりも何倍も立派な経歴を積み重ねた後、やっとベルリンフィルの首席指揮者に就任したのに、男性のマエストロよりひどい形で頂点から引きずり降ろされます。彼女が本当のところどれくらいの悪行を働いていたのかは深くは描かれません。なので映画で描かれているのは、男性より結果を出さないと評価されないのに、ひとたびスキャンダルとなると男性よりも厳しく処罰される女性一般の立場です。
そして全てを失ってNYの貧乏そうな生家に戻った後、”音楽の意味”について語るバースタインのビデオをVHSテープで見直して自分の原点を確認します。
そして衝撃のラスト
それから指揮者として東南アジアのどこか(ロケ地はバンコック、言語はタガログ語?)に招かれたターは、楽譜が届かないので現地の図書館に探しに行ったり誠実に取り組んでいますが、仕事はゲーム『モンスターハンター』のライブ演奏イベント。満場の観客は全員コスプレ。そこで映画が終わります。
クラッシック業界で、過去20年間以上ビデオゲーム音楽のコンサートというのは若手の指揮者(と演奏家)にとって、重要な活躍と経験の機会でした。頂点を極めて転落したのちも、そんな駆け出しの立場からのいちからのやり直しを厭わない、ターの音楽への強靭な愛情が描かれたラストです。
実は、セクハラ告発の直後、デュトワは英国ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団の芸術監督と首席指揮者を退任させられ、ボストン交響楽団からは名誉称号を剥奪され絶縁されています。ところが、ほんの2年後2019年にはフランス国立管弦楽団で指揮者としての活動を再開。今年は大阪フィルハーモニー交響楽団や新日本フィルハーモニー交響楽団とのコンサートが開催されます。プラシド・ドミンゴも謝罪声明以降は普通に活動継続。スキャンダルの傷も男性は浅くすんでいます。(レヴァインは2021年に死去)
映画のキャラクターと実在の人物を比較することはできませんが、この衝撃のラストは、彼女の音楽への愛を描くと同時に女性の生きづらさも衝撃的な形で描いていました。