カミングアウト対クローゼット~ハーヴェイ・ミルクが命がけで訴えたこと
Twitterのレンディング・ワードで「カミングアウト」が登場して、いつものように勘違いベースの投稿が多いんです。ただ、当事者の方々すら用語の理解にゆらぎがある様子なのでちょっとまとめました。
直近での報道としては東京新聞の下記の記事がありました。
千葉県内のLGBT当事者の高校生たちが、性志向と性自認について自己紹介することを呼びかける鉄道広告を展開しようと、実現に向けクラウドファンディング中です、という記事。
興味深いことに、当事者の高校生たちはこの言葉を正確に理解した上でこの活動をしていますが、東京新聞の解説が間違っている。
上記が東京新聞による用語解説です。2点間違っています。
ひとつは「誰かに開示すること」ではなく「社会/世間に開示すること」。
もうひとつは、アウティングに関する記述全部。社会に開示するので当事者にとっては秘密ではなくなりますから、カミングアウト完了済の人=オープンリー・ゲイに対してはアウティングは発生しません。(無論、言いふらし放題、ということではありません)
■クローゼットとカムアウト
同性愛者のカミングアウトの歴史は19世紀まで遡るようですが、1960年代のゲイ・ライツ運動で運動の手段として主張されたのがカミングアウトでした。
もともとはcome out of the closet / クローゼットから出てくる という表現です。skeleton in the closet/クローゼットにしまった骸骨 という言い回しもあり、クローゼットには秘密を隠す場所という含意があります。秘密を抱えてクローゼットの中で膝を抱えて悩んでいた人が、意を決して胸を張って出てくるようなイメージ。なので英語表現としては、come out で”ゲイであることを公表する”という意味で使われます。
もうひとつ、coming-out party というと上流階級の若い女性が社交界デビューするお披露目パーティのことになりますので、そういった含意からもカムアウトする対象は最終的には世間とか社会とかとなります。
言葉の単純な意味としてはそうなのですが、センシティブな行為なので多くの場合段階を踏むことが多いようです。70年代のゲイ・ライツ活動家で、オープンリー・ゲイとして全米で初めて公職に選挙で選ばれ、1977年にサンフランシスコ市議会議員となったハーヴェィ・ミルクはカムアウトを熱心に呼びかけました。彼も段階を踏むようなイメージで語っています。
クローゼットからカムアウトすると、隠し事がなくなるし、同性愛者であることを白状させようとカマをかけられたりすることもなくなるし、同性愛者は社会を構成する普通の人なんだと伝えることも出来るし、気分がいいよ…という趣旨。
とはいえ、ハーヴェィ・ミルクですら、家族/親戚/友人/世間…の段階を踏むイメージをもって主張しています。
米国では人口の70%以上が自分をキリスト教徒と考えており、キリスト教会の多くは今日まで同性愛者に対し敵対的です。米国のゲイは少数派であるだけでなく、社会のマジョリティの価値観に反する存在でした。現在もゲイ・セックスを州法で禁じている州がいくつもあります(法律を運用しているかどうかは別)。そんなアメリカ社会でのカムアウトは軋轢を招くこともあり、大変な覚悟が必要な行為でした。それでも、カムアウトして自分たちが存在することを社会に認めさせよう、というのが彼の主張でした。
その後のゲイ・ライツ運動の成果として今日では、クローゼットに留まり続けること、カムアウトしてオープンリー・ゲイとしての人生を生きること、いずれの選択も個人の権利として受け入れられています。
東京新聞で紹介されている千葉の高校生の運動も基本的な考え方は共通しているようです。
■アウティングとカミングアウト
ところがなぜかTwitterの投稿では「カミングアウト」関連で色んなことをぶつぶつ言うひとが沢山現れました。
・誰かの性指向なんかいきなり教えられても迷惑
・誰かのセックスに興味はないのでカミングアウトはセクハラ
・そっちが勝手に教えたのにそれを第三者に伝えたらアウティング扱いされるのはフェアじゃない
・カミングアウトした当事者だが、目的がわからなくなった
…色とりどりの勘違いを楽しむのがTwitterのお作法とはいえ、当事者である方々すらカミングアウトとアウティングの関係を整理できていないようです。多くの場合カミングアウトは段階を踏むので、家族・友人にのみ秘密を明かしただけの段階で打ち明けられた側が言いふらしたら、それはアウティングです。なのでゲイである旨を打ち明けられたら「あなたはオープンリー・ゲイですか?まだ内緒話ですか?」と確認すればいい話。カムアウト完了済ならアウティングの懸念はなくなります。
恐らくですが、「カミングアウト」の対義語は「クローゼット」であることが日本語で定着していないせいでこのような混乱がおこるのでしょう。それにしても英語では普通に使われる表現なのに、当事者含めて混乱が起こってつまらない分断がおこるのは残念です。
日本と米国では同性愛者の歴史も状況も大きく違うので、米国のゲイ・ライツ運動の戦略や概念がそのまま日本で通用する訳ではないでしょう。とはいえ、言葉の意味は正確に理解して使わないと、”カミングアウト光線を発射した瞬間にアウティングバリアができるのずるい”みたいな謎の不信感が日本でだけ広まってしまうという恥ずかしいことになります。
■ハーヴェィ・ミルク暗殺
ハーヴェィ・ミルクは上記の演説の同じ年の11月、サンフランシスコ市議の元同僚に暗殺されています。同時に市長も暗殺されました。1970年代終わりの裁判所も社会もホモフォビアが根強く、用意周到に2名を射殺した犯人の刑期はたった7年でした。
「もし弾丸が私の脳を貫くことになったら、その弾丸に全てのクローゼットの扉を破壊させてください 」。ミルクは自分の運命を悟っていたのか、彼の志を継ぐ人のために録音を残しました。これはそこに残された言葉の一部です。
繰返しになりますが、同性愛者や性的少数者の権利を守る方法や運動のあり方がアメリカと日本で同じである必要はありません。ただ、ハーヴェィ・ミルクのような先人達が文字通り命がけで主張してきた言葉に対しては、まずは正確に理解した上でその言葉を使うのか使わないか決める、くらいの慎重さがあってもいいと思います。
【註】
筆者はストレートです。(straight / queer の分類も英語では差別的な含意はありません)