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石丸伸二の正しい潰し方

石丸伸二氏の実績や政策が理解できない人が多いようだが、「右翼vs左翼」や「高度成長期」のパラダイムから進歩できない昭和脳には無理もない話だ。昭和脳では理解できないことを、石丸氏はやってきたし、やろうとしている。

石丸氏の言動のベースにあるのは「人口のアンバランスによるダメージの最小化」のみだ。他に何も無い。それだけを公言し、その手法と実績を示して有名になった最初の人物だ。したがってそれ以外への批判は完全にナンセンスだ。「人口のアンバランスは問題ではない」か「もっとましな解決策がある」のどちらかを主張するしか、石丸氏を潰す有効な方法は無いはずだ。

以上がこの文章の概要だ。

昭和脳には見えない景色

石丸伸二氏ほど解決すべき社会問題を明確にして、それに取り組んできた政治家は稀だ。その詳細については後述するが、そもそも「銀行アナリストの経験を活かした政治をする」と言ったら財政改革なのは常識だし、それで何を潰すつもりなのかを立候補者が詳らかにできないのも常識だ。それなのにこんなに明確な彼の実績や政策を「見えない」「具体的でない」などと評し、自身の不見識を晒す批評家が後を絶たない状況は理解し難い。

それでもよく観察すると、そういった批評家のほとんどは凝り固まった「昭和脳」の持ち主だということが見えてくる。彼らは「右翼vs左翼」のパラダイムに凝り固まっている。左右陣営の自分側だったら「良」、逆なら「悪」、それ以外は「無」だ。右-左のマトリクスから外れた課題は政治問題ではない、彼らはそう見なす。また彼らは高度経済成長時代のパラダイムから抜け出せずにいるので、縮小時代の政治がまったく理解できない。撤退戦を指揮する指揮官の戦果を、殲滅した敵の数で測ろうとする愚かな軍参謀のような思考回路だ。

岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長は、採算に見合わない施設や行事を廃止する作業を「ババを引く」行為だと語っていた。本来それは、現在の地方自治体にとって欠かすことのできない重要な活動であり、誇るべき成果であるはずだ。これを若く意欲に満ちた政治家に「ババを引く」などとネガティブな表現をさせてしまうのは、日本社会の深刻な欠陥だ。それは「昭和脳」のマスメディアや学者の責任であり、成長できない幼稚な大衆の責任だ。

それはそれとして。このような哀れな「昭和脳」の持ち主にもよく分かるように、以下、「石丸伸二の正しい潰し方」について解説する。

単一論点の政治家

石丸氏の言動のベースにあるは、「人口のアンバランスによるダメージの最小化」だけだ。彼はいつもこの話から始めている。「人口のアンバランス」のバランスとは、世代間と地域間のバランスのことで、要するに前者は少子高齢化、後者は東京の一極集中と地方の過疎化だ。これに関して愛郷心や愛国心について語ることもあるが、それは感情ベースの話だ。また、「政治屋の一掃」「政治のエンタメ化」「成長分野と教育への投資の集中」を含め、石丸氏のやってきたこと、やろうとしていることはすべてこの「人口のアンバランスによるダメージの最小化」に繋がるものだ。これ以外の論点は何も示していない。安芸高田市でもこれだけを宣言し、このための手法を示し、実行してきた。東京でも同じ宣言をして、同じことをするはずだった。石丸氏は、その意味では単一論点(シングルイシュー)の政治家だ。彼の言葉に少々の解釈を加えるなら、「本当は政治家になんかなりたくない」「この問題に誰も取り組まないので、仕方なく自分でやることにした」「他の誰かがやってくれるなら代わってもらいたい」というようなことまで語っている。驚くべきことに、彼にとっては市長や知事という立場までもが、「人口のアンバランスによるダメージの最小化」に取り組むために仕方なく使う「手段」でしか無い。従って、これ以外の論点で石丸氏を批判することは、完全にナンセンスだ。

石丸伸二の正しい潰し方

石丸批判として有効なのは、「人口のアンバランス」が問題にならないことを何らかの理論を用いて実証することだ。そうすれば政治家石丸伸二の存在価値は消失する。それどころか、そんな素晴らしい理論を構築できたらノーベル経済学賞も確実だ。ぜひ頑張っていただきたい。それが不可能でも望みはまだある。石丸氏は少子高齢化も都市への人口集中も、直接解決は困難だと言う。彼の言動はどれも対症療法だ。「被害を最小限にくい止める」や「時間稼ぎをする」といった消極的なことしか言わない。だから「ダメージの最小化」ではなく、「ダメージをなくす」方法を提案すれば、立派な石丸批判になる。それも難しいなら、せめてもっとマシな対策や、もっとマシなことをやっている他の政治家を挙げるだけでも良いだろう。これらだけが「正しい潰し方」だ。

逆に、「人口のアンバランス」の問題が理解できないなら、批判はやめておくべきだ。もちろん石丸氏への批判のほどんどはノーダメージだし、その多くは逆効果だ。そんなことよりも批判者自身にとって大事なことがある。思慮の足りない批判で、自分がどういう層の側に立つことになるのか、どういう人達を喜ばせることになるのかを改めて考え直すべきだ。「人口のアンバランス」問題を放置しておきたいと考えている層、そうまでして既得権益にしがみついていたい層、近未来にそんなにも無関心でいられる層、そんな層の側に立つことになる自身の羞恥心を心配すべきだ。

3つのバグ

前述したように、石丸氏が警鐘を鳴らす人口アンバランス問題は、世代間のバランスと地域間のバランスの2つがある。後者が単独で問題化することは稀なので、前者、つまり少子高齢化問題に集中して話を進める。少子高齢化に関して、資本主義、民主主義、マスメディアの3つの社会システムが、それぞれ深刻なバグを内包している。資本主義には「人口オーナス」、民主主義には「シルバー民主主義」、マスメディアには「シルバーメディア」、以上3つのバグだ。「人口オーナス」は、より有名な「人口ボーナス」の対義語であり、「シルバー民主主義」も有名な語句なので説明を省略する。「シルバーメディア」は筆者の造語で、単に「シルバー民主主義」と同じ状態にマスメディアが陥る現象だが、出し手と受け手がより強い影響を与え合うマスメディアでは、その意味でより深刻なバグだ。これらをバグと表現するのは、各々のシステムの原理的な不具合だからだ。悪意をともなう行為や悪質な過失がなくても、単に少子高齢化という状態に加えて、人々の些細な我儘、些細な忖度、些細な無知が合わさるだけで、各々のシステムは誤作動を起こす。

シルバースパイラル

3つのバグは相互に悪影響を与え合い、悪い方向への「正のフィードバック」をかける。たとえば、「シルバー民主主義」が高齢化した既得権益層を生み出し、「シルバーメディア」がそれを固定化し、「人口オーナス」により縮小された財がその既得権益層に集中し、閉塞感が助長され、少子高齢化が加速する。このような悪循環を「シルバースパイラル」と呼ぶことにする。シルバースパイラルに陥った社会は、その対策さえも無効化する方向に進む。まるで免疫系をかいくぐる方向に進化する癌細胞のようだ。対抗するための情報を「シルバーメディア」が隠蔽し、対抗するための政治力を「シルバー民主主義」が潰し、対抗するための財力を「人口オーナス」が奪う。冒頭で述べた「昭和脳」は「シルバーメディア」によって成長を阻害され、「シルバー民主主義」によって不相応の影響力を与えられた存在だ。シルバースパイラルは社会を破壊し尽くすまで止まらない。行き着く先は、経済と政治が破滅した社会、かつては当然のように保護できていた「生命」や「尊厳」までもが危機にさらされる社会だ。この点も癌と類似する。

ジャニーズ問題に匹敵する闇

石丸氏が東京都知事選であれだけの票を獲得した快挙を芸能界でたとえるなら、2010年代にジャニーズ事務所の悪口を歌った楽曲がレコード大賞にノミネートされるようなレベルの大事件だ。

「シルバースパイラル」は筆者の造語だが、そういった問題自体は1990年代から議論されてきた古いものだ。しかし当時から既にシルバー化していたマスメディアは、ほとんどこの問題を取り扱ってこなかった。少子高齢化について扱うと、高齢者を悪者にしていると誤解される議論になりがちだからだ。マスメディアは読者や視聴者の多くを占める高齢者に忖度し、この議論を避けてきた。ジャニーズ問題とは犯罪の部分は異なるものの、忖度で情報が捻じ曲げられ暗黒化した点は本質が共通する。「シルバー民主主義」や「人口ボーナス」はまるで放送禁止用語に近い扱いだし、現在のマスメディアの惨状を見る限り、彼らに「シルバーメディア」のような概念で自省できるような知性はない。近年でもやや過激な表現でこの状況を皮肉った成田悠輔氏を、マスメディアは過剰に攻撃した。

日本の大衆は長年このようなバイアスのかかった情報に晒されていて、その大衆の投票で日本の政治は育まれてきた。日本の民主主義は、本来の人口バランス以上に増幅された誤作動を続けてきた「超シルバー民主主義」だ。芸能界を志すならジャニーズ事務所の問題、政治家を志すなら人口バランス問題、これらの「闇」には触れないのが鉄則だった。

闇に光を当てる方法

石丸氏はそのタブーを打ち破った。「政治屋の一掃」で「シルバー民主主義」に、「政治のエンタメ化」で「シルバーメディア」に、「成長分野と教育への財政の集中」で「人口オーナス」にそれぞれ歯止めをかけ、「シルバースパイラル」にブレーキを掛ける方法を世に示した。中でも特に「政治のエンタメ化」は強烈だった。インターネットを最大限に活用して、「人口アンバランス問題」の闇に光を当てたのだ。闇に隠れた既得権益層に光を当てると、こんなにもわかりやすく視覚化されるということを世間は初めて知った。道の駅への無印良品誘致プロジェクトも、否決されたからには「成果なし」が昭和脳的評価だろうが、「政治のエンタメ化」の観点では大きな成果だ。「既得権益を理不尽な主張で頑守する議員らの姿」が、ドキュメンタリー作品として世界中に公開されているのだ。この他にも多数の「政治エンタメ」が作成され、「政治屋」や「シルバーメディア」の姿が世に晒されている。これらの動画の視聴回数の膨大さに、大衆は「シルバーメディア」や「シルバー民主主義」に対して自分たちが持つ強い嫌悪感を、再認識させられている。

単一論点政治といえば、NHK党が有名だ。スコープが桁違いだしタスクもフルだが、ある意味では石丸氏も「単一論点政治家」だ。だったら「人口動態対策党」のように、分かりやすい名称やキャッチフレーズを使うべきという意見もあ得る。そういう方針を取らない理由は、石丸氏の言葉選びのセンスを観察していると理解できる。彼は「シルバー民主主義」や「人口ボーナス」など、一部の層を非難していると誤解されかねない言葉、民衆を分断しかねない言葉は一切使用しない。過疎化についても「夕張市」などの実例を挙げれば説得力は増すが、それにも慎重だ(例外もある)。実質それそのものが倒すべき敵のような存在なのに、「既得権」という言葉さえめったに口にしない。マスメディアや政治家に対する厳しい態度とは対照的だ。この態度の明確な「使い分け」については、本人も意図的にそうしていると公言している。

世代間闘争ではない

石丸氏が単純明快に「人口バランスがすべての問題の中心だ」と言わない理由は明確だ。高齢者の存在そのものを否定していると誤解されるからだ。過疎地問題についても、理不尽にスケープゴートにされかねない層がある。本来は活発に議論されるべき重要なテーマだが、慎重になる必要もある。これは世代間闘争ではない、石丸氏はいつもこう繰り返す。彼を応援するのは若者だけではない。ボランティア説明会の映像には中高年の姿も見受けられた。YouTubeで石丸氏に賛同する動画を公開している中高年も多い。筆者だってそちら側だ。「シルバースパイラル」による社会崩壊は高齢者にとっても災難だし、まともな中高年は若者を踏み潰す老害にはなりたくない。確かに、これは世代間闘争ではない。滅びゆく運命を受け入れようとする層と、抗おうとする層との闘争だ。

とはいえ、だ。誰かが「そんな問題はそもそも存在しない」、あるいは、「もっと簡単に解決できる」ということを実証してくれるなら、そちらのほうが大歓迎だ。石丸氏だって喜んで表舞台から退出するだろう。

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