せんぱい へ
.年をとると涙もろくなる.
と言うけれど
子どもの頃からすでに涙もろいわたしは
26歳現在、先行きが不安である
。
先日、大学時代からお世話になっている
おがまり先輩から
那須耕介 氏の「つたなさの方へ」という本をお借りしました。
わたしが先輩にした小話と関連する内容が、この本に少し書かれているとのこと。
先輩と この本との出会いも驚きです。
感銘を受けた新聞記事の切り抜きを、先輩は大切に手帳に挟んでいたそう。
数年経って、なんとなく記事を書いた人物について検索してみたところ
その記事と出会われてから、これまでの短い期間で亡くなられていたことを知る。
那須耕介 2021年9月7日 53歳で死去
おがまり先輩の調べによると
那須氏は、人と会って話をするのが好きであったことから
あまり本を残していなかったそうです。
そんな多くはない著書の中から先輩が選んで購入された本。
先輩にとって、きっと大切な本をわたしに貸してくださったのだから、大変ワクワクしました。
先輩がフォローしてくださっているnoteにその感想を述べさせていただきます。
「おがまり先輩、素晴らしい本に出会わせてくれてありがとう!!!」
いま3分の2ほどの、読んでいる途中で
すでに感想を書いてしまっているのは、わたしがした「異国の言語で文章を書く」という小話の内容にたどり着くまえに
思わぬ箇所で大変 心を揺さぶられ、
感動と、喜びと、著書への感謝の気持ちで涙が止まらなくなってしまったからです。
その箇所(章)というのは、
「P.21 ありあわせの能力」
(以下、要約失礼します)
ーーー
わたしたちの生活は無限の時間、無限の資源、無限の知恵があるわけではないから
「たくさんの準備」と、そして、ありあわせと とり繕いでやりくりしなければなりません。
臨機応変、行き当たりばったりを良しとする気風と能力が大切で
「たくさんの準備」のなかでも有望なのが
「修理」する能力、といっています。壊れたものを元通りにするだけではなく、別の使い道を考えたり、代用したり。
わたしたちにとってある種の貧しさ
ー時間・資源・知恵の不足ーは
避けようのない生活の条件。
貧しさを恐れることはかえって自分の生活を窮屈で味気のないものにしてしまっているのでは。金継ぎや紙の漉き返しがあるように、ときにそれはむしろ贅沢なこととも言っています。
そして、この章の最後の行。
この最後の文章は、これまで私が少なからず試行錯誤しながら前に進んできた毎日を肯定し、そっと やさしく頭を撫でてくれたような そんな気持ちを与えてくれました。
大学を卒業し社会に出た時、
いざ自分の手元に残ってるものを振り返ったら「これだ」と確信をもって言えるものがなくて、、自信もなくて、、
それでも「これだったらできるかな」とか「こういうこと好きだったよな」とか
そんなふうに取り繕いながらなんとか過ごしてきた時間を思い出させてくれました。
今も ありあわせで やりくりしている日々だけど(笑)、それでも取り換えのきかない、以前よりは愛着が湧く自分になってるかもな、、なんて思えたりします。
まだまだ道半ばではありますが
あみだくじ のように
あらゆる出来事や人との出会いを通じて
「こんなはずじゃない」道をも楽しんでいきたいな、なんて思います。
大学時代に先輩から学んだ「準備の力」も兼ね備えて。。。
最後に、先輩の素晴らしいところをお伝えしたいです。
おがまり先輩のスバラシイところ、
それはズバリ
「ものの受け取り方が まっすぐ」
なところです。
おそらくわたしも含めて多くの人は
あらゆる ものごとと遭遇したとき
すぐに「好き・嫌い」「良い・悪い」と自分のものさしで判断や評価などの解釈をしたがるような気がします(?)
でも先輩は、AはA・BはBと、その考え方をそのまま観察し
順位づけなどはせず、違いを面白がったり、様々な角度を検証したりしている気がします。
(だからこそたまに、感情で意見されるときも凄く良いです 笑)
一つの意見に固執することなく、柔軟な想像力を持って世の中をまっすぐに見つめる。
そんな姿を学生の頃から、ずっと尊敬していました。
そしてそんなものの見方を わたしもできるようになりたいと、
ゆいちゃん(同輩)といっしょに先輩のマネをたくさんしてきた気がします。
noteって何書くところでしたっけ(笑)
まあいっか! そろそろおやすみの時間なので、これにて終了です。
バイバーイ
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