人が被害者をバッシングしてしまう理由 「公正世界仮説」
認知バイアス
人が進化の過程で得た生き抜くための工夫のバグ部分、それが認知バイアスです。不合理な行動が生まれる原因が、生き延びるために得た武器の故障だなんて。そんな認知バイアスをこちらのマガジンでまとめています。
被害者がバッシングを受けることがある
海外で拉致された日本人、レイプされた女性、行方不明の子を持つ親……。被害者にもかかわらず、世間でバッシングを受けてしまう人たちがいます。なぜ世間は、ただでさえ苦しんでいる人たちをさらに責め立てるのでしょうか。
じつは、ここに、わたしたちが安心して暮らしていくための宗教に近い思い込みがあります。それは、「善い行いをすれば、良い結果が返ってくる(はず)」というものです。良い人間は危機的な状況になるとスーパーヒーローか神様に助けてもらえる。悪いやつは最後にひどい目にあう。この思想を「公正世界仮説」といいます。ちょっと危険な認知バイアスです。
公正世界仮説
公正世界仮説(Just-world hypothesis)とは
です。「公正世界誤謬(just-world fallacy)」とも言います。認知バイアスのひひとつ。公正世界仮説は、社会心理学者メルビン・J・ラーナー(Melvin J. Lerner)が1960年代初頭に行った研究が嚆矢とされています。
昔話から映画まで「公正世界仮説」でできている
昔話や民話、わたしたちが日頃観ている映画やアニメ、ドラマでは、悪人には最後にバツを受け、善人は報われます。これは世界、つまりわたしたちにとって便利に機能する世界観です。なぜなら、治安が良くなり、悪事が減るから。そして未来に向かって報われることを期待して努力できます。公正世界仮説は、このように人間の社会をより良くする機能を持っています。
なぜ公正世界仮説が被害者を苦しめるのか
では、なぜそんな公正世界仮説が、被害者たちを責め立てる原因になるのでしょうか。それは公正世界仮説が、以下のようなものだからです。
不運にも災難にあっている人を見て、公正世界仮説のなかに生きる人は、無自覚に「悪いことをしたから災難に遭うことになったのだろう」と考えてしまいます。でなければ、公正世界仮説が崩れてしまうから。公正世界仮説は強力で、明日の幸福を保証する宗教のようなもの。悪いことをしていない人が災難に遭う世界であっては困るんです。この不協和が、人々に被害者を攻撃させる原因です。
報われない怒り
長年勤めてきた企業からリストラされ、それを不当な扱いと捉えて、強い怒りが湧くということがあります。結婚や恋愛にもあることです。尽くすことに、報われる保証があると考えるのは、公正世界仮説によるものです。
公正世界仮説による被害者非難が発生するシーン
(1)暴力・レイプ
レイプの被害者を非難する傾向があります。
(2)いじめ
いじめに関しては公正世界仮説を信じている人ほど、加害者を責める傾向がありました。公正世界仮説により、被害者を責める傾向があまり見られない。
(3)病気
人々には、病気が、そのひと自身のせいであると考える傾向があります。(※3)
(4)貧困
公正世界仮説を信じている人は、貧しい人々に対しても被害者非難を向ける傾向があります。(※4)
対策
科学もまた宗教的な側面があるうえに、科学ではわからないことだらけです。一方で、宗教にわからないことはありません。信じれば、戒律を守れば、なんらかの過酷かもしれない条件を満たせば「必ず」救ってくれます。しかし科学が示すのは、無情な「不確実性の存在」です。必ず発生すること、確率的に発生すること、偶発的に発生するもので、科学の世界は構成されています。不安なわたしたちは、自分の成功や健康を「確実に保証」して欲しいのに、科学はそれを与えてくれません。
しかし、これを直視するとこういう結論に達することがあります。
じゃあ、報われる努力をしよう。確率的に高い選択をしよう。そしてうまく行かなかったら、もうそれはそれでしょうがない。
これが意外にヘルシーで、救いになったりするんです。こんな「頑張れば、報われる」は危険。報われる方法を探して実行が有効、という話をスタディーハッカーの岡さんという方が、こちらで書いています。
応用
経営者や芸能人たちに「見える人」とか「占い師」などと懇意にされている方々が、思いの外多くいるように見えます。これはプロスペクト理論でちょっと説明できるのですが、人は「得たものを失うことが大嫌い」なんです。得ていない人は、失う恐怖が小さいですが、多くを得た人は、それらを失うのが怖い。しかし未来はわからない。プロスペクト理論とは、人間の得をすることより損をするインパクトのほうが強いというもの。詳しくはこちらに書いています。この傾向によって、わしはぜんぜんFXで勝てませんでした。
参照
※2:公正世界仮説
※3:Disease as Justice: Perceptions of the Victims of Physical Illness
※4:Lay causal perceptions of Third World poverty and the Just World Theory