しがらみ上等
もう2年が経つ今だから言えるが、知事選への出馬を断念したときには本当に多くのことを痛感した。「革新」の難しさはこういうことだったのかと。悪く言えば「牙を抜かれた」とか「すっかり丸くなった」ということになるのだろうが、自分としては賢くなって「革新」に一歩、いや三歩くらい近づいたと思っている。
一つは「年齢感」の大きなギャップ。私はいま47歳、一般企業で言えば立派なベテラン社員の年齢だ。かつて所属した自衛隊では当時、一般隊員の定年がたしか54歳だったので、50の声が聞こえるとぼちぼち定年を意識し始めるくらいだった。しかしこの政治の世界には定年がなく、かつ代謝が起きにくいためにプレーヤーの高年齢化は著しい。先日とある会で、経済界の大御所の方に「まず60歳までは大人しくしておいて、そこから頑張れ」と真面目に言われたのには驚愕した。その方は70代なので、60歳などはまだまだ若造ということなのだろう。しかし年齢とはそういうもので、35歳の人はもう社会人歴10年を超えるのに、私から見ればまだまだ若者なのだからお互い様だ。
問題は秋田県が全体としてきわめて高齢化してしまい、社会の主導権が、一昔前なら引退している世代の方々に握られてしまっているということだ。人口比だけでもそうなのに、それに投票率(若年世代ほど如実に低い)を掛け合わせると、ますます高齢者が若年層を圧倒することになる。この厳然たる事実を前にすると、若手が「世代間闘争」を仕掛けて荒っぽくゲームチェンジするという手法は、極めて難しいことがわかる。
そして仮にその困難な闘争=選挙に勝てたとしても、その先には茨の道が待っていることも想像しえた。実は全国で若くカッコいい首長がもてはやされる一方で、選挙には勝ったものの政財界と対立し、窮地に追い込まれている若手リーダーも少なくない。真の目的は「革新」であって、肝心なのはその座についた後、何ができるかである。そこまで計算するならば「勝ち方」というのも非常に重要で、決して勝てば官軍というわけではないことを理解しなければならない。首長一人変われば世の中が一気に変わるものでもなく、議会はもちろん地域の経済界ともある程度力を合わせることができなければ、自分の成し遂げたい改革などとても実現できないのだ。
私は初当選のときから自民党公認だ。考えた末に自ら公認を求めた。これは「どこの馬の骨とも知れない県外出身の新人候補」の怪しさを払しょくしたいという選挙戦術上の理由もあったが、それ以上に、この地域に変革を起こすためにはどの道筋が最も実現性があるか、という判断によるものだ。国会も県議会も圧倒的多数が自民党なのだから、大きな力を使わなければ大きな変化は起こせないのだろうという素人の考えだったが、今もやはり正しかったのかなと思っている。
そもそも政治は、多様な考え方を持つ人々の利害を調整するものだ。それらがどうしてもぶつかるときは、最終的には多数の意見が採用される。ということは、どれだけ多くの仲間を作れるかが勝負を決めることになる。全く後ろ盾のなかった県外出身者の新人が、本気で革新を起こすためには、どうしても必要な選択だったのだ。あれから8年たった今、私は県政与党の政務調査会長として政策全般を取り仕切っている。もし8年前に無所属で当選して、誰とも与せず一人会派を貫いていたとしたら、県庁は今どれだけ私の提案を聞いてくれただろうか。
大きな組織に所属することは、カッコ悪いし、めんどくさい。特に与党などというものは常に批判に晒され続け、褒められることなどはほとんどない。政権の不祥事のとばっちりを食うこともよくある。だから誰とも群れず、何にも縛られず、そのとき思っていることを好きなだけ言う方がカッコいいに決まっている。しかし本気で革新を起こすために、その面倒くささから逃げてはいけないのだ。政治家になって最も痛感するのは、世の中には本当に色々な考え方の人がいるということだ。そんな世の中で仲間を増やすというのは、意見の違いについて寛容であることに他ならないと私は思っている。それをいちいち攻撃したり、しがらみだと断じて排除していれば、思想の純化は進むかもしれないが、周りから人はどんどん減っていくだろう。前に述べた世代間闘争だって、言ってみれば先輩世代に対する無理解と不寛容の産物だ。数で大きく上回る相手には、むしろ懐に入って手伝ってもらう方が最短距離の道筋だというのが私の結論である。
写真は1月7日、自民党青年局の街頭行動のときのもので、40代以下の議員と議員の卵だけで15人集まった。県内でも最近若手の議員が増え、自民党所属の県・市町村議員だけでも30名を超えた。皆それぞれの思いを抱いて、このしんどい世界に飛び込んできたツワモノども。これは私の見立てではあるが、自民党という組織に心酔して集まっている若者は一人もいない。政権与党に対しては様々異なる意見を持っていたり、時には疑問を抱いたりもするけれど、秋田の変革のために必要ならばグッと飲み込んで頑張れる奴らだ。しがらみ上等なのである。