隣人だったおばあちゃんが僕に優しくしてくれた理由
10年間住んだアパートを退去した。
狭いし、1階だし、日当たりや風通しは悪いし、決して快適ではなかったけれど、引っ越しが済んで何も無くなった部屋を掃除していると「もうここには帰って来ないんだな」と、それなりに寂しくなった。
寂しくなったのには、10年間の愛着とは別に理由があって、お隣の一軒家に住んでいるおばあちゃんの存在が大きかった。
10年前、アパートの玄関先で「こんにちは、引っ越して来たのね」と声をかけてくれたのは、おばあちゃんの方からだった。
「もうここに50年住んでるの」という、この街の大ベテランだった。
最初は挨拶を交わす程度だったのが、そのうちおばあちゃんは夕飯の余りを僕の家に届けてくれるようになった。
煮物や、カレーや、赤飯や、果物も。
当時、僕はまだ20代でお金がなく、節約しながら生活をやりくりしていたから、おばあちゃんの差し入れは正直とても助かった。
家に招いてもらって、夕飯をご馳走になったこともある。
一軒家には、中年の娘さんがいらっしゃったけれど、孫がいる様子はなかった。
もしかすると、おばあちゃんの目には僕が孫のように映っていたのかもしれない。
そんな体験を話すと、周囲はとても驚く。
東京で、そんなふうに深い近所付き合いが築かれるのは稀なことだから。
僕は今回、転居した先のマンションでも、他の全ての世帯に挨拶の品(パッケージにメッセージが印字されたお米2合)を引っ越し前にあらかじめ贈ったくらい、ご近所付き合いにはかなり気を遣っている。
なにか見返りを期待しているわけではなくて、たとえば僕が騒音などの迷惑をかけたとして、「ああ、あのお米をくれた人か」という意識を持って接してもらうのと、顔も名前も何も知らない状態とでは、印象がまったく違うと思うから。
そういえば、10年住み続けたアパートで、他の部屋は何度も入居者が入れ替わっていたはずなのに、挨拶に来てくれた人はひとりもいなかった。10年間、ひとりも。
都会は、素性の知れないたくさんの人が寄り集まっている。
面倒なことに巻き込まれるくらいなら最初から関わりたくない、という人は多い。
確かに、僕の隣人だったおばあちゃんとも、面倒が無かったわけじゃなかった。
おばあちゃんは、某宗教の熱心な信者だった。
最初に夕飯に招いてくれたとき、臆することなくそれを僕に打ち明けてくれた。
おばあちゃんからその宗教に勧誘されたことは、10年間で一度もない。
ただ、選挙のたびに僕の家の玄関先まで挨拶にいらして、「投票よろしくね」と、その宗教が支持団体となっている某政党への投票をお願いされた。
「ほら、やっぱり関わらない方がいいじゃないか」と感じる人は多いと思う。
確かに、僕も最初はそう思った。
けれど、引っ越して隣人ではなくなった今、おばあちゃんが優しくしてくれたのは、ただ宗教のためだけではなかったと、僕は強く思う。
玄関先でばったり遭遇したとき「実は今日、体調があまり良くない」と僕が言うと、まっさきに食べ物を届けてくれた。
外の窓ガラスを掃除していたとき、すかさず脚立を貸してくれた。
未曾有の感染症が拡大し始めたときも、僕のことをいの一番に心配してくれた。高齢者の自分の方が心配される立場であるはずなのに。
僕はといえば、選挙で「今回もよろしくね」と投票をお願いされるたびに「うん、やっとくね」と返していたのだけど、僕は僕でいつも投票している政党が別にあるので、おばあちゃんのお願いには一度も応えなかった。
おばあちゃんから「本当に投票してくれたのよね?」と確認はされない。
僕はそれをわかっていて、はぐらかし続けた。
おばあちゃんが望んでいたことにも応えずに、食事を恵んでもらって、甘い蜜だけ吸っていた僕の方が不誠実だとも言える。
けれど、ご近所付き合いとは、そもそもそれくらいの距離感で良いのではないかとも思う。
食事をご馳走になった後に「投票よろしくね」とお願いされたら、拒否する罪悪感から真面目に従ってしまう人もいるかもしれない。
けれど、それとこれとは別の話。
政党への投票は誰かに強いられるものではないから、毅然とした態度で、自分の支持する政党に投票すればいい。
だからといって、相手を咎めることもしない。
「うん、やっとくね」と、それとなく受け流す。それでいい。
10年間住んだ家の退去の日、僕は菓子折りを持っておばあちゃんの家を訪ねた。
おばあちゃんは、僕が隣人でなくなることを、まるで孫を送り出すようにして、心の底から悲しんでくれた。
もしも僕が「宗教」というフィルターで偏見を持ち、おばあちゃんとのすべてのコミュニケーションを早々に絶ってしまっていたのなら、10年間で得られなかったいくつもの善意が確かにあった。
ゼロか100か、ではなくて、適度な距離感をもってして接すれば、都会の隣人は決して怖い存在ではないと、僕は思う。
新しく住み始めた家の隣人は、どんな人だろう。
顔を合わせたことは、まだ一度もない。
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