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4曲目『プライベイト・ヒロイン』(昭和60年 1985)レベッカ
思春期の頃の妹がこよなく愛したこのバンドを当時、“マドンナの二番煎じ”としてばっさりと切り捨てていました。
確か、レベッカの最初のヒット曲『ラブイズCash』の時です。マドンナが『Like a Virgin』のPVで着ているような白い衣装を着て、NHKの歌番組「レッツゴーヤング」でNOKKOが歌い踊っているのを見て、「げっ」って思ったのでした。
他のメンバーも、キーボードの土橋氏を筆頭に、なぜか、いけ好かない感じがして、各種メディアでどんどんと露出度が高くなっていく中、それを避けるように目を瞑り、耳を塞いできました。
だいぶ時が経ってから、待望のスカパーのアンテナを設置することになり、それからしばらくは、躍起になって音楽番組を録画しまくりました。その日も、あるライブ番組の予約録画をセットしてから仕事に出掛けたのですが、家に帰って再生してみたら、なんとレベッカのライブ番組になっていました。っていうか、チャンネルを間違って録画してしまってたわけです。
(んだよ~!)って思いながら半端なところから始まっているライブをなんとなく観たわけですが、これが、最後まで《《観てしまった》》わけです。見入ってしまい、引き込まれてしまい、番組が終わったときは(間違ったとはいえ、番組の最初から録れていないなんて!)って思ってしまう始末でした。
そのライブは、レベッカ初のオリコン1位のアルバムになった「REBECCA Ⅳ~ Maybe Tomorrow~」を引っさげての1985年12月25日の渋谷公会堂での「Maybe Tomorrow LIVE」でした。今となっては着る者が居ないであろう、ど派手な衣装に大きなリボンをつけたNOKKOが、やはり、今となってはあまり見ない、ステージを端から端までうろうろしながらシャウトする姿がとても新鮮だったことを覚えています。そう、僕にとっては「新鮮」だったことがそのときの全てでした。
結局、レベッカとして過去に発売された全てのライブビデオを録画して観ましたが、僕は、洗練されていないストレートな構成の、ダンスを当時、習っていないからこそのNOKKOの魂の叫びが伝わるこの1985年のライブが一番好きです。
中でも、『プライベイト・ヒロイン』はこのライブの中ではもちろん、他のライブの楽曲を通してもベストパフォーマンスだと思います。
何度も観ているうちに、レベッカの、そして、NOKKOの何がいけ好かなかったのか気が付きました。そして、それは同時に「好きになる理由」にもなっていることにも気が付きました。それは文字にすれば「あけすけな叫び」です。それを、リアルタイムでは“うさんくさく”思い、そして、好きになったときには、「本当は羨ましく感じていた」ということです。
「Maybe Tomorrow LIVE」以降のライブは、会場のキャパが広くなり、ステージセットは大規模で凝ったものになり、NOKKOはインカムマイクを付けながら、習ったダンスを他のダンサーと共にステージで披露することを常にし、どんどん洗練していきます。そして、1990年のツアーを最後に活動休止、翌1991年に解散となる運びになりました。
最後の武道館ライブの最後の曲があの『フレンズ』。NOKKOがメンバーの一人一人の側に寄り添いながらこの曲を歌う姿は“(感傷的な)感動シーン”なのでしょうが、やはり、僕がデッキに突っ込んで楽しむのは、そんな事態を知る由もないこのライブの『プライベイト・ヒロイン』であります。
極たまに行く妹夫婦とのカラオケでの手が付けられない妹のレベッカメドレーは、まったくもって涙モノです(笑)
♪『プライベイト・ヒロイン』レベッカ(渋谷公会堂でのライブ1985年)
作詞:NOKKO/沢ちひろ 作曲:土橋安騎夫
https://www.youtube.com/watch?v=hr_arJUolI8