牛と暮らした日々-そこにあった句#09 牧場の広さ
我が牧は四十町歩揚雲雀 鈴木牛後
(わがまきはよんじっちょうぶあげひばり)
うちの牧場は、牛舎周りに40町歩の牧草地が広がっている。40町歩というのは40haのことで、40haというのは40万㎡で、132万坪で、東京ドーム8.5個分だ。
採草専用の離れ地も含めると牧草地は全部で60haあるが、牛舎から牛が歩いて行ける放牧地だけで40haある。
牛を飼うには1頭につき1ha必要と言われていて、うちは放牧している搾乳牛が約40頭いるので十分すぎる面積である。
とても広いと思われるかもしれないが、これは北海道では中規模の部類に入る。
電気牧柵の外周は約5kmで、牧柵の修理や牛を迎えに行く時は、車で行く。林があり丘があり小川も流れている。放牧地にはエゾヤマザクラやキタコブシが咲き、エゾエンゴサクの大群落がある。
自宅リビングに居ながら色々な声も聞ける。春はエゾアカガエルから始まり、ウグイス、ヒバリ、カッコウ、ツツドリ、クマゲラ、エゾハルゼミ、キリギリス、カンタン。野生動物は、エゾユキウサギ、エゾリス、キタキツネもエゾシカも住んでいる。(害獣もいるので喜んでばかりはいられないのだが)
子供の頃から田舎に住みたかった私は、この土地に就農できることになった時は夢のようだと喜んだ。雑木林を間伐して林間放牧がしたいとか、就農する前は色々やりたい事があった。
さて、皆さん。
ここまで読んでうらやましいと思っただろうか?
では、実態を話すとしよう。
就農した後の現実は厳しかった。ゼロからのスタートだったので、やるべき仕事が山積みで忙しすぎて、田舎暮らしを楽しむ余裕はほとんどなかった。これだけ広い土地なので、夫婦2人の労働力には限界があった。1年の半分が雪で、残り半分のうちの半分が牧草収穫で、その半分のうちの半分が牛や機械や放牧地のトラブルで、雨の日も風の日もあり、それでなくても毎日朝晩の牛舎仕事と家事と事務仕事があった。子供達がいた頃は子供の行事と部活の応援と送り迎えがあり、ここ10年は夫が俳句のイベントに時々出かけたり。
そうこうしているうちに20年以上経ってしまった。
台風で倒れた木を薪にしようと思っていたのにすっかり朽ち果てて放牧地のあちこちに転がっている。間伐する暇もないから林の中は細い木ばかりになり、勝手に生えてきた木はいつの間にか余計な場所で大木になり、牛が行かない急傾斜の放牧地には、3mにもなるイタドリ(雑草)が生えてるし、クマザサははびこってるし、電気牧柵も隠れて見えないような荒れた放牧地になってしまった。
でも展望だけは良い。放牧地のてっぺんの丘からは市街地が一望できる。
大阪の高校からの友人は「同級生の中で一番広い土地を持ってるんちゃう?」と言います。ええ。おそらくそうでしょう。「自宅の敷地内に野鳥や野生動物が住んでて林があって小川が流れてて街が一望できるねん」と自慢したいところだが、実際は手が回らなくて荒れているわが牧場だ。
それぞれの青を雲雀と風と牛 牛後
(それぞれのあおをひばりとかぜとうし)