見出し画像

牛と暮らした日々-そこにあった句#17 牛とのコミュニケーション

電気鞭音なく振るふ青葉騒  鈴木牛後
(でんきむちおとなくふるうあおばざい)

「ノンバーバルコミュニケーション」という言葉を知っているだろうか?
コミュニケーションというのは言葉で伝わることは7パーセントで残りの93パーセントは言語以外で伝わる。この事を「ノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)」というそうだ。

言葉以外のもの、たとえば、表情、顔色、声のトーン、話す速度、ジェスチャーなどの方が、言葉よりよっぽど伝わる。
怒った顔で「全然怒ってないよ」と言うのと、笑った顔で「怒ってるよ」と言うのでは、どちらが本当に怒っているのかは一目瞭然だ。

牛と人間はノンバーバルコミュニケーションでしか交流できない。
そう。私たちはいつも牛とこうして交流(?)しているのだ。

牛にも表情や感情がある。注意深く見ているとだいたいわかる。そして牛の方も、人間のしゃべる言葉の意味は分からないようだが、声の調子や強さ、あるいはジェスチャーや態度で、こちらの気持ちがだいたいは分かっているようなのだ。

さて今回は、牛と人間との日頃のコミュニケーションの数々をつらつらと書いてみる。(ノンバーバルだったり…なかったり…)

搾乳の時、寝ている牛を起こすのに「起きなよ~」と話しかけながらお尻を蹴飛ばしたりするが、放牧期間中だと歩き疲れてなかなか起きないことがある。そういう時は、最終兵器-電気ムチを使う。電気ムチといってもムチのような形ではなくスティック状で、ボタンを押すと先っぽに電気が通るというものだ。

使うと言っても実際に牛に当てるのではなく、見せるだけなのだが、一度でも電気ムチに当たったことのある牛は、見ただけで立ち上がる。それでも立ち上がらない牛には、ボタンを押して通電の音を聞かせる。この「キーン」という超音波のような微かな音が、牛を緊張させすぐに立ち上がらせるのだ。効果抜群だ。

牛側からのノンバーバルコミュニケーションで一番大事なのは、病気の兆候を感じ取る事だ。牛は「昨日からお腹が痛いんだけど」とか、「体がだるいんだけど熱でもあるのかな?」と言ってくれないから、起き上がり方が変だとか、ずっと寝てるとか、餌をすぐに食べないとか、ちょっとした違和感を感じとるのが大事なのだ。

人間側からのノンバーバルコミュニケーションの話だ。
仔牛に哺乳する時は、「ごはんだよ~。お母さんが来ましたよ~」などとネコナデ声(ウシナデ声?)で話しかけているが、仔牛はミルク欲しさに必死なので全然私の言う事は聞いていない。そして成長したらお母さん(私)の事はすっかり忘れてしまう。でも離乳してすぐの頃だったら、夫に対する態度と私に対する態度が明らかに違うので、「ミルクをくれる人」という認識は、いちおうあるのだなと思う。

何年も前の話だが、大阪から実家の母が遊びに来て搾乳を見学していた。
「間に入るよ~。搾るよ~」と牛を触りながら優しく話しかけている娘(私)を見て、
「あんたは動物に優しいね。気持ちが優しいんやね」と嬉しそうに言った。私が「ちゃうねん。無言で突然、牛と牛の間に入ったら、びっくりして蹴られるから、危険防止のために声をかけてるねん」と言うと複雑な顔をしていた。かあちゃん、『優しい娘』なんて幻想なんだよ。
でも、この声掛けは、危険防止ということもあるが、なるべくリラックスしてたくさん牛乳を出してもらうために優しく話しかけているという側面もあるのである。

さて就農したばかりの頃だ。うちの夫は今の見た目からは想像できないかも知れないが、けっこう短気で、すぐ怒っていた。牛に蹴られたり踏まれたり、尻尾で叩かれたりすると「何すんだ!このやろー!」とキレていた。私はその怒声が嫌で嫌で。ビクッとするし、自分が怒られているような気分になるので、「お願いだから、牛に怒鳴るのはやめて」と言っていた。20年近く言い続けたおかげで、夫も辛抱強くなり、今ではぐっと堪えて全然怒鳴らなくなった。

現在、我が家では牛に怒らないし、のんびり搾乳しているので、酪農ヘルパーさんに「鈴木さんの牛はみんなおっとり穏やかですよね」と言われる。
よその農家さんで、チャカチャカせわしなくしている家は、やっぱり牛も落ち着きがないそうなのだ。いつも緊張していて、ちょっと人間が動くとビクッと立ち上がるとか。

牛は放牧地から牛舎に帰って来たら、自由席なので好きな場所に入るのだが、最後までなかなか席に入らない牛もいる。そういう時は、夫と私と2人で挟み込んで誘導するのだが、もう誰か入っているのに割り込もうとする牛がいると「違う!」と言う。すると、牛はピタッと止まる。そして空いている席があると「そこ!」と指で指し示す。すると、牛はスッと入る。

この2つは、声の強さと単語の長さはほとんど同じなのに、牛が違う反応をするのだ。もしかして人間の言葉が分かるのでは?と思う瞬間だ。

以前ベテラン放牧酪農家のIさんが「うちの母ちゃんは指だけで牛を動かせる」と言っていたのを聞いたことがあるのだが、私もついにその域に達したのかと、ちょっとだけ得意になったりする。

息子がまだ小学生だった頃のことだ。放牧地への牛追いを手伝わせていた。息子が群れの真ん中に入り前半の牛を追い、私が最後尾につき後半の牛を追っていた時のことだ。それまで歩いていた牛たちがピタッと立ち止まり、それ以上行かなくなった。「はい、はい。行きなよ~」と声をかけてもピクリとも動かない。行かないどころか緊張して怯えている。どうしたのかと前の方を見ると、息子が奇声をあげながら牛追いの棒を両手に高くかかげて、ひょっこりひょっこりと踊っていたのだ。
こりゃ牛も行かんわな。

群といふ牛の塊夏深し 牛後
(むれといううしのかたまりなつふかし)


いいなと思ったら応援しよう!