牛と暮らした日々-そこにあった句#35 牛の個性
冬来れば冬のかほなる牛を飼ふ 鈴木牛後
(ふゆくればふゆのかおなるうしをかう)
「牛の顔は見分けがつきますか?」
よく聞かれる。私は見分けがつかないが、夫は、ある程度は見分けがつくそうだ。私が牛を見分けるのは乳房と乳頭だ。これがエサ担当(顔を見てエサの量を変える)夫と、搾乳担当(乳房と乳頭を見て判断する)私の違いだ。
「放牧しているとリーダーができますか?」と聞かれることもある。人間世界でいうリーダー(責任感があって皆をまとめる)はいない。でも、先頭を切って放牧地にぐいぐい歩いて行くという意味でのリーダーならいる。
同じ群で暮らす動物でも、オオカミのように真のボスというのは、牛の群ではいない。
牛はそれぞれで、てんでばらばらに行動しつつ、目の端で他牛の歩いて行く方向を見つつ、何となく不安なのでぼんやり固まっている、という感じだ。でも逃げる時はすごい。1頭が走り始めると全頭がパニックになって、一斉に同じ方向に走り始める。
さて、牛の性格だが、気が強い弱い、敏感鈍感、色々と個性がある。
隣の牛同士どちらが先に水を飲むかで、どつきあいの争いをして、気の強い牛が勝つ。放牧している時、側に来る牛みんなを、どつき散らす、めんこくない牛もいる。
冬の繋ぎ飼いの時など、チェーンがひっかかって取れなくなっている牛を見ると、隣の牛がどつく。牛って、他の牛が弱い所を見せると、必ずといっていいほど、追い打ちをかけるように攻撃を始める。牛のいじめ問題勃発だ。
さて神経質な牛の話をしよう。
うちに、メルモという名前のとても神経質な牛がいた。メルモは初産分娩後、初めての搾乳の時に怯えすぎて、ません棒(牛の首の前にある横棒)を乗り越えた。逃げようと前足をません棒に引っかけて身を乗り出したのだ。ここまでなら、他の牛でもたまにあるのだが、メルモはそこから、鉄棒の前回りのようにくるっと一回転してドーーン!と、背中から飼槽に落ちたのだ。(首をません棒に縛りつけてあったので飛び越えることができなくて、こんな事態になってしまった。)
幸い怪我はなかったが、ここまで神経質に怯える牛は初めて見た。
この牛が分娩して、しかもこんな牛だったせいで、夫が泊まりで札幌の句会に行く予定だったのを取りやめた。
こんな牛、馴致できるのか、できないんじゃないか、もう売るしかないんじゃないかと危惧していたが、結局慣れて最後は大衆に埋没してどこにいるか分からないくらいになった。
でも、メルモは初めて放牧の牛追いメジャーを見た時に、ななめステップして威嚇する猫にそっくりの逃げ方をして、1頭だけどこかへ行ってしまうし(その時のことは『「牛追つて我の残りし秋夕焼」の巻』で書いた)、来客が放牧を見学していた時も、怯えて牛舎に入れなかったし、夏休みに孫が遊びに来て搾乳を手伝ってくれようとした時も、見たことがない小っちゃい人間に対して異常なほど怯えて、あんまり危険なので孫は牛舎から帰らせた。
「こういう時に本性が出るな」と夫が言っていた。
さて、牛の癖の話をしよう。
就農した当初は全部買ってきた牛だったので色々癖のある牛がいた。搾乳の時に、いつもステップを踏むダンシングクイーン牛や、高く足を蹴り上げるロックダンサー牛、回し蹴りするムエタイ牛、近づく気配だけで蹴り始める準備体操牛、挟まれるほど隣の牛との間が狭いので、向こうに押しやってもまたすぐ元の体勢に戻る形状記憶合金牛。
このように色々と危険な牛がいたが、一番嫌なのが神経質な牛だった。こういうメルモみたいな牛は普段は大人しくても、何か変わったことがあると、びくつき方が異常で、とても怖いのだ。結局メルモは神経質すぎて危険だという理由で売ってしまった。
先日ラジオで、『搾乳の時にうるさい牛がいて』とリスナーが投稿しているのを、パーソナリティーの方が、「うるさいって搾乳の時にずっとモ~モ~鳴いてるんですかね」と言っていたが、違う。こういう蹴ったりバタバタする牛の事を酪農家は「足のうるさい牛」と呼ぶのだ。
さて、「足のうるさい牛」もいれば、「首のうるさい牛」もいる。ミルカー(搾乳の機械)を持って行くと、ホースを首に引っかけたり、ずっとべろべろべろべろミルカーと人間を舐め続けたりする牛の事だ。
我が家では、こういう牛を「なめ牛」もしくは「溢れる母性の牛」と呼んでいる。
冬ざれて牛ざざざらとわれを舐む 牛後
(ふゆざれてうしざざざらとわれをなむ)