牛と暮らした日々-そこにあった句#26 牛追い
牛追つて我の残りし秋夕焼 鈴木牛後
(うしおってわれののこりしあきゆやけ)
秋になると放牧地から牛が帰って来ない。
理由は色々考えられる。
①春から始めた放牧に秋になって慣れてきた。②一番牧草を収穫した後に牧区を広げたので草丈の短くて新鮮な広い放牧地に行ける。③秋になって気温が下がってきたので草の伸びが良くなってきて美味しくなってきた。④春分娩の牛が多いので多くの牛が泌乳後期に入って特別搾って欲しい牛もいなくなった。こういったことの複合的な要因かと思われる。
朝と夕方の搾乳時に牛舎へ牛を入れるのだが、ゲートの前に集まっているとすぐに入れられて、すんなり搾乳が始められるのに、どこにも見当たらないとがっかりする。これが霧の日だとさらに見えない。牛を迎えに行った場合、追って席に入れるまでに30分以上、下手すれば1時間近くかかることがある。なにせ迎えに行くのに車で行かないといけない距離なのだから。(乗っていった車を置いて2人で牛追いをした場合、その車を取りに行くのもひと仕事)
牛を呼ぶ声の掠れて冬隣 牛後
(うしをよぶこえのかすれてふゆどなり)
まずは呼んだだけで集まってこないか、呼んでみる。鐘をカンカン鳴らすのだが、この鐘はロータリー(畑の土を起こす作業機)の古い刃で、鋼なので遠くまで響くとても良い音がする。
カーーン、カーーン
「おーーい、帰るよーー!」
この鐘の音と呼び声だけで、山の向こうから帰って来る時もある。
でも、山の端っこぎりぎり見える所に牛の影があるのに、全然帰って来る素振りのない「無視ですか?」と言いたくなる時もよくあり、そういう時はしょうがないので迎えに行く。
軽トラの荷台に100メートルのメジャーと牛追いのストック、そしてこの鐘を積んで2人で山に向かう。
100メートルのメジャーは何に使うかというと、2人で両端をそれぞれ持って牛の群れの最後尾から追うのだ。
就農した初期の頃、ストックだけで牛追いをしたところ、人間の脇をすり抜けて牛舎と反対方向に逃げていくことがよくあった。就農当初は全頭初産牛で全頭放牧未経験牛だったので、まったく言う事を聞かなかった。その頃は私たちも若く経験も知識もなかったので、ただやみくもに牛を怒鳴り追いかけ急斜面を全力疾走で上ったり下りたり、へとへとのくたくただった。そんなことを何年もやっていると、こんなこといつまでもやってられないと考えた。牛は電気牧柵(電牧)を怖がるので、電牧で追ったらどうだろうと。
最初は本当の電牧だった。簡易柵という手で持って運べるリール巻取り式の電牧を、実際電気が通っている外周のメイン電牧につないで通電させ(人間が持つところには電気が入っていない)、群れの最後尾から2人で両側を持って追ってみた。効果てきめんだった。それでもまだ舐めてかかっている牛には、実際にピッと電気の紐を当てたりした。すると慌てて牛舎の方に歩き出す。
そんなことを何年もしてから、ふと思ったのだ。何も重たい実際の電牧じゃなくても、紐状のものなら何でもいいのではないかと。
それで50メートルのメジャーをホームセンターで買ってきて試してみたところ、全然いけた。一度電牧の怖さを知った牛は、紐状のものなら何でも怖がるのだ。なんだこれでもいいのか。でも50メートルじゃ短すぎて紐の端からこぼれる牛が出てきたので、100メートルに買い換えた。そして、現在の方法に落ち着いた。
牛追へば牛のあひだを秋の風 牛後
(うしおえばうしのあいだをあきのかぜ)
一旦、群れが牛舎の方に向かって歩き出すとしめたもので、牛は草を食べながらも横目で他人(他牛)の行動をよく見ていて、置いていかれたら大変とばかりに自分も歩き出すので、全体の流れができる。
この方式にしてからは、毎年新しい初産牛を交ぜてもお姉さんたちに逆らわず、ちゃんと流れについていくようになった。
たまに紐からこぼれた牛がいても、よほど変人(変牛)でもない限り、うしろからちゃんとついて来るので大丈夫だ。
牛一頭取り残されし秋の色 牛後
(うしいっとうとりのこされしあきのいろ)
さて、牛入れに苦労して、朝の集乳車に間に合うか間に合わないかギリギリで焦ったりするようになる頃が、夜の放牧をやめる目安になる。だいたい10月に入ってすぐの頃で、その後は昼間だけ放牧し、11月上旬の終牧を迎えることになる。