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東京で書店巡り / 昔住んでいた場所巡り

今日は文学フリマ東京39の翌日。

イベントのために片道3時間近くの時間と2000円ぐらいのお金を使って東京まで来たので、まっすぐ帰るのではなく、ビジホに宿泊し、翌日に東京で遊ぶことにしていた。今日がその日。

東京で遊ぶといったところで、視覚的、聴覚的な騒々しさがあまり好きではない僕としては、そこら中を動き回るつもりはない。大学時代と新卒入社した会社員時代の計10年ぐらい東京で生活もしていた。今さら東京で何かをワクワクさせられたりはしない。

東京でやりたいことは2つだけ。「書店巡り」と「昔住んでいた場所を散歩しながら懐かしむ」だ。

巡るといっても、そんなに多くの場所を訪れるつもりもない。疲れてしまう。

・書店は三鷹の「UNITE」と高円寺の「蟹ブックス」。
・昔住んでた場所は東小金井と武蔵小金井と三鷹。

これだけだ。すべて中央線だけで完結する。複数路線を乗り継ぎながら人の多い東京を移動したくないので、意図的に中央線に限定した。

書店巡りについては、ここ半年ぐらい、小さくて、独自の趣味趣向で本を並べていて、個人出版の本も並べていて、時にはイベントもやるような本屋に興味があるので、そういう本屋をいくつか見てみたい気持ちによる。

今住んでいる場所から近くだと、小田原にある「南十字」もそういうタイプの本屋で、何度か足を運んでいる。

昔住んでた場所巡りは、そういうの、好きなのだ。良い思い出はもちろん辛い思い出が詰まった場所であっても、懐かしい場所を歩きながら、過去を回想したくなる。

回想といっても、なにか深い感情に耽るわけでもなんでもなく、ただ「はー、懐かしいなあ。色々とあったなあ。時間、経ったなあ」としみじみ思いながら、ぼんやりするだけ。その時間が謎に好きである。

宿泊は「ホテル武蔵野の森」という府中市内にあるビジネスホテル。中央線へアクセスしやすく、かつ安いホテルを探して行き着いた。

ホテルについては、特に感想なし。自分専用の部屋で寝れればなんでもいい。

僕はお金を使うことに対してかなりケチ、いや慎重ではあるのだけど、泊まるならネカフェは選ばないし、ドミトリーやカプセルホテルすら選ばない。
自分専用の空間、トイレ、洗面所などがどうしてもほしい。そこには数千円を払う価値がある。設備はごく簡素なものでいいので、なるべく安いビジネスホテル、という選択肢にいつもなる。

ホテルを9時前にチェックアウト。10分ほど歩いて西武多摩線の白糸台駅から電車に乗って2駅、新小金井駅まで。

新小金井からまた10分ほど歩き、中央線の東小金井駅。

ここが最初の目的地だ。新卒で入った会社で死んだ魚の目をしながら労働していた頃に住んでいた時期がある。その会社を辞めてからはもう10年と少しが経っていて、その後は今日まで一度も訪れることがなかった。

商店街に立ち並ぶお店が、たぶん大半と言ってもいいぐらい変わっている。
はー、懐かしいなあ。

東小金井の商店街

続いて30分弱歩き、1駅となりの武蔵小金井へ。

ここも同じく死んだ魚の目時代に暮らしていた場所であり、こちらはあまり10年前からの変化を感じなかった。東小金井は綺麗に発展しているように感じた一方で、武蔵小金井は少しさびれてしまっているようにも感じられた。

武蔵小金井駅 北口

続いて電車で3駅移動して、三鷹駅。

ここが新卒で勤めていた頃の勤務地だ。駅から歩いて数分のところにある無機質なオフィスビル。その目の前まで行ってみた。死んだ魚の目時代の本丸である。

ビルを眺めているだけで、今でも気持ちが滅入ってきた。

なら来なければいいのだけど、どうしてももう一度、見ておきたかった。
つらい思い出であっても懐かしい感覚にはなる。

それに、自分のこれまでの人生を振り返る契機にもなる。
「良く晴れた平日昼間の青空の下で散歩するなんていう超平凡な行為すら、僕はもう老人になるまで楽しめないわけ? なにこれ。こんな生活してまで生きていく意味ってある?」
そんな感じで僕は散々疲弊して、もう死んだほうがマシだよなあとまで思い、死ぬぐらいなら無計画でいいからまず会社を辞めようとなり、なんやかんや生きてきて、今に至る。

生きるとは、自分の物語をつくることである。
こういう考え方で生きていこうと、今は善処している。

そういえばビルにはもう僕の勤めていた会社は入っていなかった。どこかへ移転したのだろう。10年の長さを感じる。

書店巡り

ここからは書店巡り。

まずは、虚無な記憶の本丸所在地である三鷹駅から1kmほど離れた場所にある「UNITE」という書店だ。

前々から気になっていたのだけど、家から遠いし、本丸・三鷹へ来る心理的抵抗もあり、一度も行ったことがない。

UNITE方向へ駅から何分か歩いたとき、ふと、今日は営業日なのかを確認していないことに思い至った。

一抹の不安がよぎった。まあ、でも、そんなまさか、今日に限って休みってこともないだろう。そう自分に言い聞かせながらスマホで確認してみたら、月曜日が定休日とのこと。そして今日は月曜日。つまり今日はお休み。

完。

崩れ落ちそうになる心を極力無視し、心を無にして高円寺へ。目的地は「蟹ブックス」。

こちらも前々から気になりながら、まだ一度も行ったことがない。今度はちゃんと営業日を調べてみたら、今日は営業日であっていただけた。ありがとうございます。もし蟹ブックスもお休みだったら、僕はきっと駅で崩れ落ちていた。

中央線でサクッと高円寺まで移動して、駅から何分か歩いて蟹ブックスへ到着。

しかし、なんと、営業していない……え、どういうこと? やばい、崩れ落ちそう。

時間は11:40ごろ。まさかと思い、開店時間を調べてみたら、12:00とのこと。

事前の下調べが甘すぎるんだよ。いつもいつも。本当にそう。いつもそう。何事もそう。計画性がない。

まあでも20分ぐらい待てばいいだけだ。ちょうどお腹もすいてきて、すぐ近くには聖地サイゼリヤもあったから、サイゼでお昼を食べた。

だいぶ歩いたので足も休めてから、13時少し過ぎに改めて蟹ブックスへ。

入口が小さくて、年季の入った雑居ビルの一室でもあったから、入店する際、少し緊張してしまった。
「他にもお客さんがいなかったら、店員さんにすごい注目されたりするんじゃないか」
小さな書店に入るとき、いつもこんな余計なことを僕は考えてしまう。

そんなしょうもない不安を努めて無視してドアを開けて入店したら、先客がたくさんいた。

すごい。

やっぱり、今の時代、こだわりを感じる小さな書店に魅力を感じる人が多いのだろう。効率的に利便性を高めることばかりに終始した物やサービスに囲まれまくって生きている中で、無機質な冷たさみたいなものを無意識レベルで感じていき、人のこだわりとか、温かさとか、そういうものを求めたくなるのだと思う。もちろん僕もその一人。

レジカウンターの中にはphaさんもいた。死んだ魚の目時代からphaさんの本は読んでいる。昨日は文学フリマ東京であり、きっと会場にいらしたのだろうに、今日は店番。すごいなあ。

のんびりと棚を眺めていった。一目見ただけで、一般的な新刊書店とはラインナップが違うことを感じられる。そして面白そうな本ばかり。

物事を伝える手段というより、本という作品で表現する行為そのものを目的として書かれているような本ばかり。そういう本が僕は好き。情報伝達の手段に徹していて読みやすくてわかりやすい文章よりも、書き手の感情がそのまま乗っていて、それ自体が作品かのような文章が好き。動画も音声もいくらでも手軽に摂取できる今の時代に、わざわざ有料で文章を読む面白さをそこに見出している。

僕だって作家なのだから、お店の方へご挨拶させていただき、自分の本の営業をするようなこともしたっていいのだと思う。

まあでもお客さんが多い中、アポ無しで営業なんて迷惑だろう。
ちゃんと事前にアポを取らないと。

という口実で、営業みたいなことをできない小心な自分を取り繕っておいた。今はまだ、自分の作品をどんどん作りたい。そこに集中していくのである。

あとは帰宅するだけなのだけど、新宿を経由するので、せっかくだから「紀伊国屋書店 新宿本店」へも足を運んだ。僕の本が置かれているはずだからだ。

あった。

紀伊國屋書店 新宿本店

置いていただきありがとうございます。

自分で営業しなくても本が書店に置かれることのありがたさをちゃんと自分にわからせていく。

感謝の気持ちを忘れるな。調子に乗るな。思想先行で極端に走らず、現実もちゃんと見て中庸であれ。

帰宅して、1日ぶりに妻と会って昨日と今日の出来事をたくさん喋り、泥のように眠った。

生きた2日間だった。

明日からはまた日常に戻り、仕上げに入っている本の執筆を続けていく。

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