本の推敲1回目が完了した / 社会活動に興味が出てきた(2024/11/29の日記)
本の推敲1回目が完了した
今日も朝から本を書いていて、ついに推敲の1回目が完了した。
イメージで言うと、
・最後まで書いた時点:完成度50%
・1回目の推敲が完了した時点:完成度90%
という感じ。
ここまでがとにかく大変なのだ。本当に完成するのか、途中で破綻するのではないか、この果てしない執筆行為は一体いつまで続くのか、という感情と戦いながらどうにか前に進んでいく日々。それも今日で区切りがついた。
ここから先の残り10%は、最初から最後まで一気に読んで全体の流れをチェックしたり、文章の微調整や誤字脱字の訂正となる。もう完成がだいぶ近くに見えてきた。ここまで長かった。
書いた本は、個人出版した『会社を辞めて生き方を変えることにした』あるいはその商業出版バージョン『ひたすら会社で働く生き方から降りることにした』の続編となる内容。
タイトルは『会社を辞めて生き方を変えた後の3年間』にしようかな。今1秒で考えた。こういうタイトル付けのセンスが僕にはまるでない。前作の個人出版タイトルも、刺さりそうなものを思いつく気がまるでしなかったから5分で決めた。商業出版タイトルに関しては出版社様にお任せ(僕が丸投げしたのではなく、タイトルは出版社が決めるのが一般的らしい)。
下手に捻ったタイトルを付けて外すぐらいなら、内容そのままにしたほうがいい、という戦略的な判断を下している。
いつ、どのような形での出版になるかはまだ考え中だけど、早ければ来年の早々には出版したい。あまり遅くなると「続編を読みたい」と言ってくれている方から忘れ去られてしまう。
社会活動に興味が出てきた
本を書いた後、心地よい達成感に浸りながらボケーっとしているとき、ふと、「執筆もひと段落したことだし、今後は社会活動へ身を投じる選択肢もあるよな」という考えが、頭の中にポンっと急に浮かんだ。
執筆は今後も末永く続けていきたいけど、そもそもの話として、ずっと家と畑を往復する質素で静かな暮らしをしている人間に、これ以上の何が書けるというのだ。という根本的な課題がある。
色々と書きたいこと、書けると思うことはあるのだけど、ちゃんと自らの行動、体験、実績が伴わないと説得力はない。机上の空論にしかならない。
今の僕は「会社を辞めて収入は激減したけど消費も激減させて、普通に生きてます」とか「働きたくないなら、田舎で安い賃貸に住んでサツマイモでも作って食べている選択肢があります」とか「YouTubeの収益化って難しいと言われているけど、こうやれば実は案外できるもんです」とかなら人にお伝えできる。その通りのことを実行した実績がある。
しかし一方で、たとえば「田舎で無料で空き家を確保して自分でリノベすればいいです」とか「米作りって簡単ですよ」とかは言えない。やったことがないからそういう発信をする資格はないし、したところで誰も聞く耳を持たないだろう。
だから、もっともっと、労働して消費する循環が当たり前な社会に背を向けて、半農半X、あるいはダウンシフトを推し進めたい。というか、半農半Xではなく、ダウンシフトでもない、新しい言葉で「あまり稼がないけど、消費もしなくて、買うのではなく自給もして、他者とも助け合うことで生活にゆとりを持つ。そしてそのゆとりを使って自分にとって大切な活動をしていく」ライフスタイルを定義したい。そしてそれを僕自身が実行し、体系的な思想にまとめ、労働と消費に疲弊して虚無になっている人々へ伝え、仲間となり、コミュニティを作り、みんなで助け合っていく。
こういうことを今日は夢想した。あくまで夢想。妄想。本当にやるとは言わない。まだ。
「ダウンシフト」と言うと、今の社会を基準として、そこからダウンする、という意味になる。そこに違和感を覚えるようになっている。今の社会が基準でそこからダウンするというより、今の社会はおかしいから、そこから半分ぐらい勝手に離脱して(完全に離脱は無理)、自然の力を借りたり他者とも助け合いながらごく普通の人間生活を営んでいく、というところだ。そういう意味合いの言葉を自分で作りたい。
そういう次の段階、社会活動とでも呼べるような段階へ進むのもアリなのかもしれない。一度きりの人生なのだから。と口で言うのは簡単であり、実行は困難もリスクも伴う。できるところから少しずつ、コツコツと、やっていきたい。