![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165229798/rectangle_large_type_2_6d915351cfd81267684b7f27e9e4d42e.jpg?width=1200)
もう12月10日なのはおかしい(2024/12/10の日記)
もう12月に入って10日も経過しているのはおかしい。ほんの少し前に12月に入り、1日に文学フリマ東京39という超一大イベントがあったばかりじゃないか。そのときに「ああ、もう12月に入ったかあ」と思っていたのに、もう10日。12月の1/3が経過。おかしい。
この10日間、僕は一体どこで何をしていたんだ? 記憶にないのだけど? と思って日記を読み返していくと、ちゃんと10日分だけ自分の人生を生きてくれていることを確認できる。この確認をするためにも日記を書くことが大切なのである。
ということで、未来の自分のために今日の僕は日記を書く。
朝8時に起きて9時から本(会社を辞めて生き方を変えたあとの3年間)の推敲2回目を進めた。13時まで家のリビングで進めて、そのまま同じ場所で昼食を食べ、また再開して17時で切り上げた。
普通に会社員の頃と同程度の時間だけ仕事をしている。しかも密度は明らかに今のほうが上。目的不明な打ち合わせに参加したり、他人の仕事の進捗を確認したり、上司へ報告したり、ウンザリしてきてサボったり、というような時間がないのだから。充足する。そして疲れる。
疲れたあとは散歩。スーパーまで片道何キロかを歩き、どっさり買い物して、パンパンになってずっしりしたリュックを背負って歩いて帰宅した。
車があるので車で行けば圧倒的に楽なのだけど、車を所有して以来、歩く時間が激減し、そこに物足りなさを感じ始めているので今日は歩いた。僕は歩くことが好きなのだ。
スーパーから帰宅後は読書。今日は『あした死ぬ幸福の王子』を読み始めた。
まだ序盤も序盤だけど、相変わらず超面白い。飲茶さんの本はこれまで何冊か読んできており、全部、超面白い。
この本はハイデガー哲学をもとにしたオリジナル物語のようだ。
ハイデガー哲学と言えば『存在と時間』。存在とは何かを語ることが目的で、その土台として「存在とは人間が考えた概念であり、当たり前のように「存在」なる言葉も使っているのだから、人間とは何かを知ることが存在とは何かを知ることにもなる」という理由で人間論をひたすら進めているうちに本題である存在論が置き去りにされたまま終了した、という雑すぎる理解をしている。
ハイデガーの専門家がもしこの文章を読んだら怒られるかもしれない。すみません、単なる日記なのでご容赦ください。
この雑すぎる理解だけを踏まえる限り、なかなか『存在と時間』を読もうとは思いにくい。興味はあるのだけど、だいぶ腰は重くなる。難解な文章を読み解いた末に、本題まで到着しないなんて勘弁してほしい。
というところに、飲茶さんが登場。飲茶さんがハイデガー哲学のエッセンスを教えてくれるのなら、そんなもの読むに決まっている。悩む余地なし。今日は序盤まで。明日、続きを読むのが楽しみ。