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サツマイモ掘り(2024/11/23の日記)

僕は今、近所の市民農園で畑を借りている。そこで今年の5月からサツマイモを育てていて、今が収穫時期なので、今日は昼前からサツマイモ掘りをした。

半年ほど前にひょろひょろの「さし苗」なるものをAmazonで購入して畑に刺したのだけど、そのときは「大丈夫か? これ」と不安しかなかった。だって、もう最初から若干萎れている有様だったのだから。

畑に植えた直後

触るとカサカサに乾いているし、茎はヘニャヘニャ。

調べる限り、サツマイモのさし苗はそんなものらしいけど、最初から萎れている苗を実際に手で触れていると、これがあの太くてたくましいサツマイモになるなんて想像もできなかった。

でも、まあ当たり前なのだろうけど、ちゃんとサツマイモになったんだよなあ……。人間の常識を超えた生命力をサツマイモは有している。

収穫するときには、地面を覆うほど生い茂っていた
草を掻き分けて土を掘ると、デカいのが大量に出てくる

芋ほりを開始したのが午前11時頃で、そこから約2時間、手袋をつけた手でひたすら土を掘り続けた。

こうやって自分の身体を土や植物に触れさせていくのが人間本来の生活なのだろうなあ、と直感できる。いくら技術を高めて文明を発展させたところで、生き物としての仕様は、自然と一体化しながら生きていた何万年か前のままから変わっていないのだから。

文明の利器に四方八方を囲まれまくりながら暮らしていくと、将来への不安、他人との比較、お金のこと、仕事のこと、人間関係などなどに思い悩んで心が疲れるわけだけど、そういう疲れは芋掘りによって吹き飛ぶ。マジで。
「土から芋を掘り起こすだけの行為にそんな効果があるわけないだろ」と、土には触れずコンクリートにばかり触れる生活をしている都会人は思うだろうけど、本当ですから。心に溜まっていた疲れが、心地良い健全な肉体的疲労へと転化される。都会で心が疲弊している人は、自然豊かな場所で芋掘りするのが良いと思います。

そもそもなぜ僕が畑でサツマイモを作っているのかというと、「働かないと食っていけない」という世間の常識に抗うためだ。「え、別に働かなくても、自分で食べ物を作っちゃえば、それを食えますよ」という、一休さんみたいな返しをしてみたかった。

働かないと生活していけないことを表現する比喩として「食っていけない」と言っているだけなことぐらい、もちろんわかっている。その上で、一休的に反論していく。口で言うだけではなく実際の行動もしながら。そうやって資本主義社会の常識に茶々を入れるのが、ハッキリ言って、楽しい。

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