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沼津でのんびりした1日(2024/12/7の日記)

今日は朝から車で沼津へ行った。富士山や海を近くで眺めたり、レトロな喫茶店でのんびり読書でもするために。

家から沼津までは有料道路を使わなくても車で1時間と少し、のはずだったのだけど、途中で通る箱根も三島も、そして目的地の沼津も渋滞しており、2時間30分ぐらいかかってしまった。かなり疲れた。

先々月から5年ぶりに車のある暮らしを送り始めているのだけど、ブランクがあるからか、老化からか、車の運転に対してけっこう疲労を感じる。昔は東京から名古屋まで高速道路でノンストップで移動できていたのに。今はそもそも高速に乗りたくない。乗ったとしても時速80kmでもう随分と速く感じる。目と脳をスピードに追い付かせるので精一杯になる。

まあ車の話はどうでもよくて、沼津。
沼津港大型展望水門「びゅうお」から海や山の景色をのんびりダラダラと眺め続けた。

正面に富士山がある

富士山は雲に隠れて見えなかった。よく晴れた日でもけっこうな確率で富士山は雲に隠れている。背が高い分だけ雲が引っ掛かりやすいのだろう。

その後はレトロな喫茶店へ行った。沼津はレトロな喫茶店が多いのだ(理由は不明)。

珈琲欧蘭陀館香貫店」というお店に今日は行った。

家具にも食器にも、その他インテリアの至る所にも、職人の仕事を感じることができる。

そういう物たちに囲まれていると、自分が一人の個性を持った存在であると尊重されている感覚になれて安らぐ。

結局のところ、人間はみな誰かに個性を持った存在として認められ、尊重されたいのだ。その無意識レベルの欲求は、誰かが魂を込めて作った空間や物と触れているだけでも、けっこう満たされる。

昔から、綺麗で便利でシンプルな汎用賃貸に住んでもどうにも落ち着かないというか、謎の不安感を掻き立てられる感覚があった。理屈で考える限り落ち着くべき汎用築浅便利賃貸なのに、気持ちはなぜか不安、という症状。

これはきっと、この家は表面だけは綺麗だけど、一皮むけば安く大量に作ることだけを追求して作られた物であり、「こんなもんでいいですよね」と汎用人間として自分が扱われていると感じられてしまうからだろう。

という考え方は『自分の仕事をつくる』という本からの影響というかパクリである。無意識レベルで感じていたことを、この本によって言語化できるようになった。

欧蘭陀館では、2時間ほど読書に耽った。先日の文学フリマ東京39で買った本たちだ。

『ラフ・プロテクト』読了。著者は「暇真」さん。

面白かったです。

読んでて「そういう気持ち、わかるわあ」となる箇所が多かった。気持ちを言葉にするのが上手い方だなあと何度も思いながら読んでいた。僕があまり得意ではないところなので勉強になった。

僕の場合、言語化の対象が気持ちよりも状況や構造や論理に向きがち。自分が何を考えているのかはわかるものの、何を感じているのかはよくわからない。

本書は時系列を行ったり来たりさせながらのエッセイ集で面白かったのですが、過去から現在を物語みたいにまとめて1つの作品にしてみるのも面白いんじゃないか、ということを思ったりしました。

続いては『眠れぬ夜、のち、祝祭』読了。著者は「守田樹」さん。

面白かったです。

守田さんは、文学フリマ前から存じ上げており、良い文章を書くなあ、と前々から思っている。プロの作家が書いたものとして紹介されて読んでも「そうだろうなあ」と納得する作品だった。

エッセイと同じ文体のまま10万文字ぐらいで物語を表現すれば、もうそれで書店で売られているような文学作品が完成するのではないか? と思える。

読書後は、車で帰宅。帰りもクソ渋滞していて疲れた。でも良い1日だった。明日も良い1日にしたい。おわり。

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