【雑記】千年女優を観てない私の昔話

ちょっと人生につまったので1000文字で終わりそうな日記を書く。

千年女優が1月から映画館ではじまるらしい。
2001年に公開された今敏監督の作品のリバイバル上映らしい。
今敏監督作品は素晴らしいねと思うのだけど実はこれは観ていない。
観ていないけど思い出のあるタイトルで、人間は残念な生き物なのでその映画がどのように素晴らしい作品だったかより、その作品が関わって自身に何かが起こったかって事のほうが記憶に残っているのだ。そういう残念なお話だよ。


2001年、キッズな私に初めての恋人ができた。
自分の主催してるオフ会にきていつも楽しそうに色々語ってるアニメが好きな15歳の男の子だ。当然主催者である私は成人してたので相当歳の差があった。ちなみに私はショタコンではないです。

そもそもオタクの集まるオフ会なら全員オタクであり、オタクだから好きになるというのはおかしいのではないか?というのがあるのだけど、そもそも私が幹事だったので私が出来る事が出来ない相手に好意を抱き意識するという意味が解らないというのが野生の天然(社会性フィルター)のシンプルな思考だった。空気の読めない人にちょっと恋愛は難しかった。肩書、年収そういうのを浅い関係のうちに相手に聞くのって失礼な事でしょう?と真顔で答える純粋なキッズだったので判断基準が本当にその場の会話とかだった。5年以上一緒に遊んでる相手の職業も知らないとかザラだった。

ちょっとだけどうでもよい話をすると、アニメの話でもゲームの話でもバカみたいに解体された大量のパソコンが存在する理由も、買い取り不可能なくらい改造した車何がどう凄いのか自慢されるのも、私の知らない事を楽しそうに話してくれる事は私は凄く嬉しかったし楽しかった。でもじゃあなんでそういったオタクを好きにならなかったの?となる。ある程度大人になると結婚という視点も大事になるよは別にする。その時にひっかかるのは自分はオタクだから……と卑下する部分を全面にだされると、相手のそこをフォローする事に疲れてしまうし、逆に凄い物を凄いとわからない奴がバカなんだ的だと、いくら人に教えてもらうのが好きな私でもどこかで疲弊してしまう。あと別に人それぞれ好きな物は違うから無理に理解させようとしなくてもいいんだよとか。何かを好きでいられるって事は大概は素敵な事で自信をもって良い物のはずで、楽しいって気持ちを大切にしたらいいよ。感情って伝わるものなので楽しむ事も楽しくあって欲しいと思う事も大事だよ以下略。

話は戻って、その子は物凄い物知りでいつだって新しい事があればやってみないともったいないじゃないですかといつも一人で何か動いてる子だった。そもそもその子に限らないのだけど、当時はパソコンという万人が扱う訳でも無い物を使って、なんか不穏漂う2ちゃんねるなんてものを経由して開催される意味の解らないオフ会なんて大人でも初見緊張する所にやってくる未成年というのは本当に好奇心の塊みたいな子ばっかりだったと思う。まぁ大人であっても半分怖いもの見たさとそれを上回る好奇心が上回る変な人しか集まらない場所なのだけど。

その子は私よりずっとアニメに詳しくて、私よりずっと深いアニメの話をよくしてくれる子だった。今思い返せばアニメに限らずその子がご両親から学ぶ事、実践する事の大切さをきちんと教えられながら大事に育てられた子なんだろうなというのがわかる。その子はその後この地域ではかなりの進学校に進む事になる。その子は受験に対して、学ぶことが増えたらそれだけ出来る事が増えるって事なんです、それって素敵な事だと思いませんかってネガティブじゃなくポジティブに語ってた。全く自分には無い感性。正直今になってそれはそうと理解はできても、子供の頃に真っ直ぐそれを言える子ばっかりではないよなとも思う。そう思う事でそうじゃなかった自分を守ろうと思う妬みなのかもしれないけどね。

その子が嬉しそうに朝から映画館に並びに行ってる時があった。当時は一人〇〇が流行る時代の前なので1人で商業施設に行くのが全然意味がわからなかった。その時観に行ってた映画が千年女優だった。どうも当時は映画上映の初日に観に行くとセル画がもらえるというのがあったとか。自分が行った訳ではないので実際そうだったのかは謎なので事実じゃなかったらごめんなさいなのだけど。その映画がいかに素晴らしかったかと楽しそうに語る姿と大事そうに抱えてる宝物が入ってるらしい鞄。本当に楽しそうで一緒に居たその時間は私にとっても楽しく幸せな時間だった。どのタイミングで付き合ったのか覚えてないのだけど一緒に即売会に行ってコスプレ広場でバカやったり、デートと称して代アニの体験入学に潜り込んでアフレコ体験してきたり、バカな事しか無かったけど楽しかった。でもそれは本当に短い間に終わってしまったのだけど。相手は大事に育てられてる受験生で、一方私は世間知らずのメンヘラなフリーター。連絡手段は親を経由した電話のみ。あの時私に人並みの常識とか思いやりとかあったなら何か違ったのかなとも思いたいけど、そういうものなのです。

今になって思えば、彼が好きだったのでは無かったのかもしれないと思う部分もある。年下だけど私は彼のその知識と行動力が好きで、それは頼りがいがあるようにみえた。だから今になって思えばそれは父性のようなもので、実際の歳の差から考えるとおかしいものなのだ。彼が大事にされて身につけた彼を作ったであろう愛情みたいな物を間接的に感じてたのかもしれないなって。似た感覚で友達と接して友達の言葉に感動してるはずなのに、実際は友達が影響されている彼氏の言葉に影響されてるんだろうなってって事に気づくような時がある。彼氏彼女が変わる度に印象が変わる人っているし、案外人ってそれは普通なのかもしれない。綺麗な事をただ綺麗と言えなくなる汚い大人になったなとも思うのだけど、理屈はなんとなくわかっても大事だったって事は変わらないものなんだ。

思い出は誰かと共有する事もなく自分の中でのみこっそり消えていくもので、たぶんわざわざ語らないだけでその人にとっての大事な思い出が人の数だけあるのだろうと思う。自分にとってとても大事でも人にとってはそうではないものはたくさんあって、そういうのは比べるとか上とか下とか考えるのは良くなくて、誰が何と言おうとただただ大事だったって自分の思い出ポケットに増やしていくのが良いのだと思っている。それが世間一般で言う価値のある経験の積み重ね方とは違うのもわかるんだけど、自分が大事なものは自分自身が大事にしないとなと思うんだ。

そもそもこの話で他人が一番気になる点は結局それは犯罪になる歳の差なんだけどという点なのだ。私だって歳の差婚のニュースとか見たら気になるもの。残念ながら野生の天然(社会性フィルター)なので犯罪になる歳の差なんだからやっちゃだめな事やらないのは当然でしょと一ミリの疑いもなく思ってたのでそういうものです。少しあんまりな話になるけど、性交経験のない女の子の性欲ってそういう物だとも思う。むしろ性交経験で学んでしまう成功経験のほうが問題でそこが絡みだすと色々と複雑だから女性はみんな色々と複雑な事を言い出すんだと思う。まぁそれは別の話。
あの時の相手の気持ちはわからなかったけど、一緒に遊んだ帰り道、お互いに遠慮しながら不器用に確認撮って手をつないで帰るんだ。たったそれだけなんで本当にキッズすぎるんだけど、本当にそれが幸せだったんだ。そういうのが永遠に終わらない瞬間だったら良いのにって思うやつだと思う。終わっちゃうし続かないので不毛と言えばそうなんだけど、それでも大事な思い出だよ。

さてはてこれを最近はやりの、人生を物語化して大事にする事に価値がある!っていうお話にするならばこの話の最後は、あの時一緒に観に行けなかった映画を時代を超えて思い出を抱えながらこの映画を観に行くんだ(完)としたいところなのだけど、今の状況ではレンタルできる作品を映画館に観に行く金銭的余裕はないですというなんとも世知辛い終わりになるのだった。

ただ行動と感動の共有の先に物語ってのはあるのかもしれないよ案件なので、皆様は映画館に行って観てきてくださいなと。昔の私のような楽しそうに語る君が好きなんだって出会いがあるかもしれない。逆に考えたらそんな頭のおかしい人に好かれるなら誰とも共有しないで一人で楽しむのが正解だよと言われるとぐぅの音もでないなんだけど、どっちにしろあなたにとって経験が良い思い出になりますように、そういうお話でした。

やば、3000文字ある。書こうと思ってる物、やろうと思ってる事は全然進まないのに全然意味のない虚無ばっかり量産するのよくないなと思いつつ。たまにこうやって脳のキャッシュをクリアする作業をするのであった。世知辛いなぁ。


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