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週刊金曜日が2月18日号で「明日のハナコ」の特集号。

 消されかけた高校演劇「明日のハナコ」誌上公開!――と大きく表紙に文字がでている。
 そして表紙のイラストは、私たちがドラマリーディングをした際にかいてもらったチラシのデザイン画、すずえゆみこのイラストだ。
 私も、役者で演じている写真が、掲載されている。福井の上演、大阪の上演の様子だ。

 いままで様々な新聞、雑誌の方が取材して記事に書いてくれたこの事件。その中で、最もたくさんの誌面を使い、もっともつっこんだ取材を実行して書かれた記事が、これだと言っていい。新聞や雑誌の文章は、その新聞社や雑誌社の職場にいるたくさんの人の目が入り、いいのか、このまま載せていいのか、とか、もっと書き込まなきゃ足りないのじゃないのか、とか、疑問、不安、そんな声を乗り越えて何度も書き直されてから発行されることになる。間違った情報はその媒体自体の信用を損ねてしまう。だから「裏をとる」作業が重ねられることになる。立場や利害のちがう二人以上の人が証言しない事実は、なかなか外に出せないのだ。だから各社とても筆が重い。今回は、私たち実行委員会が知っている事実だけではどこも書いてはくれない。実行委員もこう言ってるし、立場の違う別の教員もこう言ってるなあ…となれば、「裏がとれた」ことになるから、記者は書ける。デスクも「載せろ」とOKを出せる。しかしその場にいた人たちが、実行委員以外の人たちが、もうすっかり黙っちゃっているのだ。

 実行委員は、顧問会議に参加している現役の教員から聞き取った事実を主張している。しかし、11月からこっち、顧問の教員たちはやんわりと沈黙を強いられている。部会長、各校の校長、つまり教育委員会の指示を受けた組織系統からの指示で、「(あなたが動くと)学校の名前が出るよ」「教育委員会に報告させてもらう(と、その後あなたの経歴に不利なことにはなるよ。覚悟しなさいよ)」などなどのことばがやさしげな表現で伝えられているのだ。かっこで書いたセリフは、管理職は言わない。けれど、言われたその当人には言外のセリフとして明確に強く伝わってくるセリフだ。
 いまや教員の労働組合加入率は恐ろしく低い。組合の力量は加入率が命だから、とても組合は教育委員会当局に対抗する力が弱い。組合が自分たちを守ってくれそうな力を持っていないことを現場の教員は敏感に察知しているから、そんなやんわりした圧力に抗して「いや、私は真実を話す。真実のために抗議する!」などと動くことには相当根性が必要なのだ。
 ……それにそもそも組合に加入しないのは自分自身だったりするのだ。入る自由もあるのに、入らない。そのことで小さく、組合を弱くする方に加担 してしまっている。
 いや、そもそも「本来なら組合が自分を守ってくれるのになあ」などという発想も、今福井県のその場にいる教員たちにはないのだろう。労働組合、などというものの存在、イメージ自体が霧のむこうの遠いもので、この事件のなりゆきに大きく関係している存在だという理解もきっとないだろう。もしかしたら職場の先輩教員たちから「ニッキョウソはややこしいぞ」とか「会議を長引かせるだけの人たち」「キョウサントウは政治のひとたち」とかへんてこな偏見を吹き込まれ、鵜呑みにしたままでいるという可能性の方を私は高いと思っている。
 劇作家協会の運営委員会の話し合いの中で出た発言を教えてもらった。その中の発言にも、そういう気の毒な偏見に支配されていないとありえないものがいくつもあった。かなしいかな、それが今の現実なんだ、と私は今回思い知らされている。もちろん断定はできない。推測だ。けれど、じゃ、そうじゃない推測をしたら、この事態を、教員が動かない、という現実を説明できるのか?

 以前なら、組合にも自ら入り、執行委員とか、支部長とか、そういう小さなリーダーを引き受けたりする人が教員にはたくさんいた。そういう人たちは「組合的」な世の中の見方をちゃんと知っていた。「組合的」な見方というのは、「一般的」だったり「当局的」だったり、という見方とはちょっと違う。テレビや町内会のおじさんの見方とは違う。「支配する側」に都合のいい論理を疑う見方だ。「支配される弱者」の権利を強くするための見方だ。そういう教員が、顧問会議の中にいま、複数いたら、こんなやんわりしたかん口令は容易に打破できただろう。「校長が何と言おうと、事実は事実だ。聞かれて話すことのどこが間違ってるんだ。」と言いそうな大人が昔はたくさんいた。すると、真実は表に出ただろう。マスコミ、新聞、雑誌は事実を世間に公表できただろう。当局、教育委員会はこんなにぬけぬけと演劇部員、脚本を書いたコーチに対する侮辱、排除をやりとおすことはできなかっただろう。謝罪に追い込むこともできただろう。
 
 マスコミの記者たちが「なにも話してくれない。だから書けない」と私たちの前でくやしそうな顔をするのを見てきた。私たちは分厚い壁の前にいる、って日々感じてきた。
 そんな日々の中で、この雑誌は、さわやかな風に感じる。壁を、こじこじと小さな道具でほじくりつづけると、小さな穴はあいて、そこから風がふきぬけた。
 ぜひこの号を、みんなに買ってもらいたい。読んでもらいたい。


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