父とパソコンの話
気の迷いで結婚し両親と別居していた時代のある日のこと、父から着信が入った。
「おっぱいが消えないんだ」
我が父もいよいよ耄碌(もうろく)が脳に及んだかと危ぶんだ。
「おっぱいが消えないっ・・・て?」
実の父に発する単語ではないと躊躇(ちゅうちょ)しながらも、父から発する声色に切実な響きを感じ取り、私は事情聴取を開始した。
「パソコンを見てただけなのに、消しても消してもおっぱいの写真が出てくるんだ」
情報システム管理者が誰しも一度は耳にしたであろう、何にもしてないのにパソコンが壊れました的な台詞が虚しくスマホから流れる。
父にとっては非常事態である。
私は取るものも取りあえず実家に急いだ。
実家のリビングには、扇情的に胸部を露わにした女性の極彩色な画像が表示されたパソコンの前に、これ以上ないくらい身を屈ませた父が小さく座っている。
せっかく娘が車を飛ばして実家に駆け付けたというのに、それを労わる気持ちより父へのヤキモチが勝ってしまった母は、父と私に目もくれず、憮然としてソファーに深く腰掛け、場の空気を全く読まないお笑い芸人がおどける番組から視線を外そうとしない。
先ずは呼吸を整え、一応ブラウザを閉じてみた。
案の定、間髪を入れず、同じ画面が立ち上がる。
間違いない、ブラクラである。
「パパ、なんかのボタン押したりメールのリンクをクリックしたりした?」
リビングの空気状況をこれ以上重くしたくはなかったが、事態の把握は解決への第一歩である。私は非情な質問を父に投げかけざるを得なかった。
「うん・・・押したかもしれない・・・」
私が男児を持つ母であったなら、もしくは小学生の教師であったならばきっとこんな気持ちを味わうことは珍しくもないのであろうが、私にとっては初めて味わう感情である。
父の発言により、母の眉間の皺が更に深くなった。目前の画像を抹殺することが目下の急務であるという共通認識と連帯責任が父と私の絆を深めた。
全くありがたくはない。
私はいくつかの手順を試み、なんとかパソコンを復旧させた。
どこのどなたかは存じ上げねど、貴方の魅力的な胸部は、こんな熟年夫婦の住まうリビングのパソコンの画面にあらわれるべきではなかったのだ。
さようなら、おっぱいの人。
そして父は耄碌してなどいなかった。
小声で行われた更なる事情聴取により、父は『もっと見る』のボタンをクリックしていたのだった。
元気すぎるだろう。
こんな小春日和の穏やかな日は、もう少しあなたの子供でいさせて欲しかった。