今の私ができるまで
高校卒業後、地元離れて関西の大学に入り一人暮らし。
地元は田舎だが、人は皆優しくてフレンドリーな人が多くて、静かで落ち着くところ。刺激が欲しいのと、もっと世の中を身を持って学んで行きたいと思いが高校生ながらにあった、県境を跨ぐ以外に私にとっては選択肢は無かった。
一人暮らしは想像してた通りで、順調過ぎた。自由で、何もかも自分でしないといけない環境だからこそ、落ち着けたし地に足が余裕で付いた。何も心配事が無かった。なんなら、実家暮らしのときは親に何もかも任せてしまう罪悪感ともどかしさで窮屈だった。
仕送りは無かったけど家賃だけは払ってくれてた(ちな学生寮)。もちろんバイトもすぐに始めた。門限のせいでバイトが夜遅くまでできなかったので、一年経ったあと退寮して賃貸マンションに引っ越し。
大学では他大学の小規模の運動系サークルに所属し、大学時代の友達はほとんどそこでしかできなかった。
大学って、クラスとか無いから友達ってできにくいよね。
“友達と一緒に”時間割決められない私、静かに一人でじっくり授業受けたいし。
バイトはカフェや料亭等飲食店ばかりを2、3回コロコロ変えてたが、2年生の夏から始めた(高級)居酒屋でのバイトは卒業まで続けることができた。
ちなみに、ここで社員並みの労働をさせられてた。
当たり前にキッチンもホールもこなし、最高で13連勤した。
無事過労。夜布団が暖かすぎて涙したのは人生で初めて。
高卒からここまでの間で一番会った人は、親でも一番仲のいい友達でもなくその居酒屋の店長。
2年の夏からほぼ毎日顔を合わせてたから私の実親よりも私のことを知ってる。
今の私はここのバイト先で成り立ったと言っても過言じゃない。
4年生のときは店長のゴリ押しで大企業の事務ばかりにエントリー、無事内定貰い。
二年半、バイト漬け生活も終わりストレートで大学卒業。
今に至るのだけど、大学生何してた?と聞かれるといつも答える「バイトと遊びしかしてなかったです。」がテンプレとして頭にある。嘘じゃなく事実なので。
バイト先の常連さんは社長クラスも多くて某大阪の地銀の社長とかヤ◯ザとかがお客さんとして来てました。(至って普通の居酒屋ですちゃんと)
こんな私です。所謂ウェーイの大学生ではなかった私です。自分ではかなり味のある学生生活送ってたなと思う。
また経験談を近々投稿する。