超ハイリスク妊婦。死産を乗り越えて2度目の命と向き合う
37歳、初めての妊娠は高齢、糖尿、高血圧、極度な肥満体型、さらには喘息と超ハイリスクだった。その子は産月を前に臍帯が首に二重に巻いたことが原因で亡くなった。
諦めていた頃に授かった2人目は39歳で妊娠。
死産からずっと次の妊娠へとフォローを続けてくれた大学病院の教授の方々は、妊活フォローから一気に厳しい妊娠フォローへと切り替わる。
妊娠の前期2週間、中期2週間の観察入院を経て、34週目で緊急入院。
血圧が下がらず、尿蛋白値が異常に高く母体の状態が悪いことと、前回が34週目で子宮内胎児死亡の死産だったので、34週が私の妊娠継続の限界なのだろうという外来担当の教授の判断で誘導陣痛前の準備が開始された。
母体の予後を考えると自然分別で産むのが一番リスクが低い。でも、万が一、帝王切開になった時、私の体の大きさがネックとなり普通の手術じゃないから、平日の昼間じゃないとスタッフが足りないという。
私のような体系と病歴の妊婦の帝王切開はリスクが大き過ぎて、母体がもしかすると元気に戻らないかもしれないと…
私「死ぬわけじゃないんでしょ?」
主治医「…多分。ただ、結構な期間は寝た切りになる可能性がとても大きい。だから、絶対に下から産みましょう!!」
誘導陣痛中、主治医に向かって「お前じゃ産まれん!他の先生呼んでよ!」と何度叫んだことか…もう少しで掴みかかる寸前だったが、彼は優しく「やだなぁ。一緒に頑張ろう!」と笑顔で言う。
2日目夜「明日の陣痛に向けて体力がいるから眠れ!」と言われて下半身に違和感を感じながら頑張って就寝。翌日、微弱陣痛に苦しまされただけで17時になったので翌日持ち越し。再び寝ろ!寝ろ!とベッドに戻されて就寝…
ところが、夜中に出血してエコーで逆子が発覚。
医師達が頭を抱えて混乱するが、翌日には元に戻り、再び誘導陣痛。
結局、産み始めてから4日後にやっと出て来てくれました。普通は誘導陣痛を開始して1、2日で産まれてくるんだそうです。
陣痛では自我が出るとかで、「二人目はお産が早いなんて大嘘だ!!」と旦那に恨み節。
お腹に向かって「何故出て来ない?」と号泣‥
「今度こそ生きてる子供に会いたいのー!!私、どうなってもいいから、お腹切って子供出してやってよー!!もうこれ以上陣痛続くと体力の限界で死んじゃうよーー!」と叫ぶ私に両母号泣。
主治医が「分かった。明日帝王切開しよう。」と言った瞬間、激痛が起こり、子宮口全開で分娩台に上って数分後に元気に産声を上げた我が子。健診台の上で勢いよくオシッコを飛ばしました。
「オシッコもしたいし、帝王切開で無理矢理出されるなら、もう出ちゃおうってベビちゃんが思ったんだろうねぇ。やっぱりあなたの子は大物だ」
と爆笑されてしまう。
主治医は、それから子に会う度に「奇跡のベビちゃん。産まれてくれてありがとう」といってくれた。先生、罵倒してごめんね。
外来で前回の妊娠と妊娠継続のフォローと緊急入院を指示した担当教授は「年寄りの勘だな。一週間遅れてたら大変だった。」とナースセンターで言い回ってたそうで。「得意げだったよ。」と看護師長が笑いながら教えてくれた。
主治医は、そんな教授達から「帝王切開になったら承知しない」と毎日詰められてた様子。
私は産まれたての子に語りかけた。
貴方は本当に多くの方の祈りと日本の周産期医療の最先端を行く施設と頭脳に助けられ、無事に産まれて来たんですよ。
本当なら、もう少しゆっくりお腹の中に居たかっただろうけど。
出産ってどんな形であっても一生忘れないね。
目を開くことなく逝っちゃった娘のことも絶対忘れない。
「あなたと同じで、髪のクルクルで唇が薄い気の強そうなお姉ちゃんがいたんだよ」っていつか伝えられるといいな。
そして、私もこうやって産まれて来たんだと思うと両親に感謝。
子育ては本当に大変だけど、毎日2人分以上の愛情を持って育てている…つもりだけど本人に通じているかは分からない。親心ってそんなものだよね。