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【週刊ユース分析】静岡の今を深堀りしてみる。
私のプレミア検証。自分で書いていてなんですが、ついにこのテーマを取り扱う時が来たか。といった感じです(ゴクリ)。
もともと僕がプレミアリーグに興味をもったきっかけ、それからこの分析を始めようと思ったきっかけが、静岡の今を定量的に知りたい。というものでした。
今年は特殊でしたが、毎年正月が明けると地元の友人から以下のようなLINEが届きます。。。
”今年も選手権ダメだったね。ホント静岡は弱くなっちゃった”
”1回戦で負けるなら出てほしくないんだけど”
そのたびに私は毎年同じ返信をします。
”今や選手権が全てじゃない。悲観的になるな。高円宮を見るんだ!!”
選手権がもはやユース年代の最高峰ではない。というのはおそらく間違いないでしょう。では、その中で静岡のチームはどんな立ち位置にいるのか。本当にサッカー王国は地にまで堕ちたのか。そんな分析をしてみたいと思います。
■まずは、数字の上で見てみましょう。
ぼくがプレミアリーグ9年の歴史を定量的に図るため、過去の結果をポイント形式でまとめ、都道府県別に括ったのがこちら。
大阪、千葉に続いて静岡は堂々3位に位置しています。仮にアカデミー福島を除いても順位は変わりません。
続いて、プレミア9年間でポイントを獲得した7チームの過去の成績をまとめたものがこちら。
主なポイントゲッターは4チーム。その中でも清水ユースの健闘が光ります。静学、アカ福、磐田は時をずらすようにプレミア参戦しており、2016、2017を除けば、プレミアには静岡から2チームいる。というのが定番のようです。
高体連では藤枝東、清水桜が丘(清水商)、浜松開誠館が東海のプリンスリーグでは上位の常連で、各チームとも1回ずつ参入戦に駒を進めたことがある。というのが実績となっています。
次に、ポイントゲッター4チームの横に冬の選手権の結果を記してみましょう。
改めて書き出してみてもやっぱり寂しいですね。2019年の静学まで、県の代表はベスト8まで勝ち進むことができず、冒頭のような悲観的な連絡が地元の友人から届くわけですが・・・
ちょっと待った。
その間も、静岡を活動拠点にする若きフットボーラー、才能の塊たちは、最高峰のリーグで結果を残し続けていたのです!
静岡全体では、EASTの2位が3回(いずれも清水)。東海プリンスを制したのが8回となっています。特に東海地区では無類の強さを誇っていると言えます。
当然、他の都道府県でも同じことが言えるわけですけど、(特に)静岡県民よ!何も悲観する必要はない。みんなもっと日本のプレミアリーグをウォッチして、ワクワクしようぜ。
そういうことです。
■1999年 Jリーグチャンピオンシップの衝撃
Jリーグ中断期間中に、過去のメモリアルゲームをたくさん放送してくれたましたね。
その中で1999年、ジュビロとエスパルスの激闘を改めてみたわけですけども、私がびっくりしたのはプレーの質もさることながら、こちらのメンバー表。
県内出身選手を黄色に塗ってみましたが、もうね、静岡県民サッカーフェスティバルですよ。
さらに我らが名波さんがイタリアに居ますし、大岩さんが磐田に来るのが翌年ですか。
これだけのメンツで日本一を決めていたわけですよ。当時は何も思わなかったけど、改めてみても凄いことだなーと。
健太さん(清水東)をベンチにおいて久保山(静学)、安永(清水商)のツートップとか。選手権ファンからすると鳥肌が立つレベルですね。(しみじみ)
■静岡がサッカー王国になるためには。
ここまで、ユース世代もそんなに悪くないよ。という話と、やはり過去は凄かった。という話をしてみたわけですけど。
今現在、静岡はサッカー王国なのか?と問われると、私個人の見解では、NOです。
やはり、ユースは大阪が強いし、飛びぬけているのは広島と青森山田だし、Jの磐田も清水もチャンピオンになれていないし、日本代表を見ても静岡出身の選手はウッチー、長谷部キャプテン以降、途絶えてしまった印象も拭えません。
では、サッカー王国に返り咲く条件は何なのか。個人的に以下と定義してみたいと思います。
✔ 静岡のチームがプレミアリーグを制覇すること
✔ プレミアリーグに高体連のチームが常駐すること
✔ Jリーグのジュビロとエスパルスが優勝し、常勝軍団になること
✔ 日本代表のスタメンに2人以上は県内出身選手がいること
ハードル高めですね。でもこれぐらいはやれるでしょう!
だって、ユース世代を掘っていく中で確信しましたよ。やはり静岡にはサッカーを極める土壌があるんだと。
それは環境もそうだし、指導者もそうだし。ゴンさんやカズさんなど全国レベルの知名度のOBが、テレビではサッカー界全体に目を向けていても、裏では地元に愛を持って接してくれているのもとてつもない財産だと思います。
アスルクラロ沼津 中山雅史選手よりメッセージ pic.twitter.com/BEzEkqiwSo
— One Shizuoka Project (@OneShizuoka) May 14, 2020
長年培ってきた歴史というのはやはり大したもので、結果が全てではない。と言える要素がまだまだ静岡には散りばめられているのです!
その代表的なものがこちら ↓
■静岡サッカーの影の功労者。SBS。
静岡県民にはおなじみのSBS。ここでは県外の方も記事を読んでいると想定して、ぜひ紹介したいものがあります。それはSBSカップ国際ユースサッカー大会。
SBSとはShizuoka Broadcasting Systemの略。つまり、TBSの静岡版。つまり、静岡の6チャンです。
静岡には、SBSがスポンサーとなって1977年から続く、ユースの世界大会があるのです。
ちなみにこの年はバイエルンのユースが来ていて、若き日のルンメニゲが来日していますね。今でこそ久保選手や中井選手のおかげでメガクラブのユースも身近になりましたが、昭和ですよ。
この時期のユースの大会で人が集まっちゃうんだから。サッカー王国ですよ(泣)。やっぱり。
そして、この大会の私が好きなところは、日本代表のほかに静岡代表が作られ、大会にエントリーすること。
代表に入れなかった有望株が、静岡代表となって強豪チームと戦うわけです。そしてしばしば、日本代表に勝ってしまうのです。
そしてこちらが昨年の静岡選抜。
後列右から二番目にいますね。選手権を沸かせた静岡学園の松村選手。彼はこの大会で鹿島のスカウトの目に留まり、入団が決まったと言われています。
三木選手、清田選手、川本選手、エリック選手、今年プロになった選手もたくさんいますね。静岡でサッカーをする選手たちには、とても夢のある大会だと思います。
このような伝統があることが、特に若い世代に対しては静岡でサッカーする意味や価値になっているのではないでしょうか。
■目に見える結果だけが、王国の要素だろうか。
僕は野球少年でしたが昼休みはいつもサッカーをしていました。
サッカーを習っていなくてもリフティングはみんなとてもうまかったし、ローカルのテレビCMにはよくサッカーボールが登場しました。
静岡は、やはりサッカー処だったと思います。
静岡のサッカーはここ最近全く結果が出ていません。これには少なからず昔と違う何かがあり、その因果関係から目をそらしてはいけません。
ただ一方で、
静岡にしかない土壌(歴史、伝統、文化、愛)が今なおあることも事実であり、これは大いに我々のアイデンティティとして誇るべきものだと思います。
こんな記事も書きました。 ↓
俺たちにしか出来ない静岡ダービー。|boku2nd @LwbDAIPSwnS7foD #note https://t.co/KSMH5TKqWQ
— 鈴木意斗(僕はセカンドボールを拾いたい) (@Boku2nd_ito) January 13, 2020
■最後に
静岡がサッカー王国に返り咲くための条件をもう一つ加えましょう。
✔ 翼くんがサッカーをするために引っ越してくる土地であること
翼くんは、”サッカー王国静岡”に来て、その人生を決める大きな大きな出会いをしたのです。