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【note分析】【自論】読まれる文章の特徴。
ちょっと考えてみた。
文章にもいろいろある。そして、読み手が好む文章もいろいろある。
人気作家の特徴を整理してみて、noteの場合は結局何が良いのかってのを勝手に分析してみたい。
■東野圭吾の場合
まずはみんな大好き東野圭吾。
我が家にもたくさんの文庫本がある。小難しいビジネス書をあまり読まず、もっぱらミステリー小説を好むウチの奥さんも例にもれず東野圭吾が大好きである。
彼の文章は一言で言えば単発の連続。とにかく一文が短い。そして心地よく連なっている。
状況説明を端的にする、という意図があるのだと思う。とにかく物語が流れるように進むのはこの「単発の連続」によるところが大きいと思う。
その時、ものかげからわずかに音がしたような気がした。しかし目の前にいる女に気付いたそぶりはない。私は再び彼女の足元にあるそれに視線を戻す。そして改めて聞いてみた。
ちなみにこれは私が即興で適当に書いた文章だが、何となく東野圭吾感があるなと思っていただけたら嬉しい。
とにかく東野文はこのように句点(。)が多く、小気味よく連続する。
これはストーリー重視というか文章の中身を読ませたい場合に有効で、読み手に対してとても親切というか、ピュアな感じがする。
ストーリーで勝負する、いかにもミステリーの奇才・東野圭吾らしい文字の連ね方だと思う。
■朝井リョウの場合
次は若き天才・朝井リョウ。
彼はとにかく情景描写を得意としていて、ポップなストーリーの中にもどこか純文学めいた要素を感じる。何というか、繊細なのである。
私はまるでみずみずしい果実の様なそれを見つめながら、「あぁもうそんな歳になったのね」と言って笑った。みずみずしさは、私の一番大切にしているものだ。言い換えればそれは6月の湿気から首を伝わる汗だけを丁寧に取り除いたような、決して清潔ではないがその分生命力があった。
例によって即興で書いてみたが、さすがに朝井氏の表現力にはかなわない。ただ何となく雰囲気は伝わるのではなかろうか。普段の生活の中ではなかなか使わない言い回しだけど、確かに言い得て妙だなと納得させる独特の表現が多い。
読んでいてなんだか少しだけ得したような。そんな気分になれる。
ご存じだと思うが、彼のデビュー作「桐島、部活やめるってよ」の中に桐島は登場しない。それでも桐島を含めた学校生活がそこに見えてくるから最高だった。
丁寧かつ独特な着眼点から来る情景への誘い(いざない)方。これもまたものもの凄いスキルである。
■伊坂幸太郎の場合
最後は唯一無二の作家・伊坂幸太郎。
説明文などはもちろん一切なし。それなのに物語が進行するだけで登場人物のキャラクターがビンビン立つ。気付くと架空の人物のファンになっている。それが伊坂ワールド。
小気味いい会話シーンはとにかく気持ちいい。
シリーズの新作が発表されると「あぁまたあのキャラたちに会える」とワクワクが止まらない。
漫画やアニメの感覚に近いが、それが文字だけで実行されているところがとにかく凄いところ。
「だいたいお前の主張はおかしいぞ、鈴木」
「君には言われたくないんだけどな」私は即座にそれに反論する。
「だいたいお前の主張はおかしいぞ、鈴木」
斉藤は自分に自信がない時、必ず同じ言葉を2度繰り返す。そして最後にこう付け加える。
「なぁ、”主張”ってなんだと思う?」
これもまた私が即興で書いたものであり本家の伊坂ワールドとはほど遠いが、彼のファンであるならばこの斉藤がすでに憎めない悪人であることは想像できるだろう(笑)。
とにかく、
伊坂幸太郎は読者を一気に引き込める唯一無二の世界観がある。なんか最近楽しくないな、と思ったらそれは確実に伊坂不足であり私は定期的に彼の書いた本を読むようにしている。
当然ながらストーリー性もしっかりしていて、伏線回収が秀逸。とにかく読ませる。読んでいると引き込まれる。それが伊坂手法である。
■noteで書く文章は。
ストーリーの東野圭吾。
情景描写の朝井リョウ。
世界観の伊坂幸太郎。
彼ら売れっ子作家にもれなく影響され、見よう見まねで文章を書いたことが何度もある。
もちろん短編小説だけではない。随筆や、思ったことをただつらつらと書く際にもかなり参考、というか(出来栄えはさておき)真似させてもらった。
そこで一つの結論に辿り着く。
特にnoteにおいて、圧倒的に相性が良いのは東野手法ではなかろうか。
個人的には、良い文章というのは上手に文字をそぎ落としたものだと思っていて、文章が上手く書けないと嘆く人は”書けない”のではなく、”書きすぎている”場合が多い。
そもそも素人の書く文章は、読みとにとって期待値は低い。
であれば回りくどい表現や世界観の設定は極力削ぎ落とされるべきで、その点をわかりやすく解決してくれるのが東野小説の様な「単発の連続」だと思う。
僕は良くサッカーやバスケをネタとして思ったことをつらつらと書くが、シンプルな表現かつ連なる文章のリズム感というのを少しだけ気にしている。
そして読み返したときに自分でも気持ちいいな、という締まり方をした文章は得てして読んでくれた皆さんのリアクションが良い。
気がする。
そして、
noteというフィールドは我々の様な素人にもカット&トライの場を提供してくれる貴重な場だと改めて思う。
まずはリズム感を大事にしながら情景描写や世界観の構築にもチャレンジし、懲りずに筆を振るっていきたい。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。